神原
原さんのようなインディペンデントのプロデューサーにとっては大変頭の痛い問題ですね。最近の若手プロデューサーの方々はどうでしょうか?
原
自分でリスクを負って製作した結果、成功せずに倒産してしまったプロデューサーも多くいます。マーケットと作品の不整合が原因です。映画というのは製作費だけでなく、流通させるのに宣伝経費など多額の費用がかかります。そうなるとインディペンデントでは大きなプロジェクトはできず、話題にもなりくい。一方、大企業のなかのプロデューサーはリスクを恐れて保守的な仕事しかしないようになっています。
インディーズのプロデューサーがチャレンジする環境を作らないといけません。そのためにはやはり仕組みづくりが重要でしょうね。どうも映画業界には保守的な人が多いし、業績が悪化するとなおさら保守的になりがちです。ですから、むしろ映画ではない他の業界からの提案をぜひ期待したいところです。映画はまだまだビジネスチャンスがあると思いますよ。
原さんのようなインディペンデントのプロデューサーにとっては大変頭の痛い問題ですね。最近の若手プロデューサーの方々はどうでしょうか?
原
自分でリスクを負って製作した結果、成功せずに倒産してしまったプロデューサーも多くいます。マーケットと作品の不整合が原因です。映画というのは製作費だけでなく、流通させるのに宣伝経費など多額の費用がかかります。そうなるとインディペンデントでは大きなプロジェクトはできず、話題にもなりくい。一方、大企業のなかのプロデューサーはリスクを恐れて保守的な仕事しかしないようになっています。
インディーズのプロデューサーがチャレンジする環境を作らないといけません。そのためにはやはり仕組みづくりが重要でしょうね。どうも映画業界には保守的な人が多いし、業績が悪化するとなおさら保守的になりがちです。ですから、むしろ映画ではない他の業界からの提案をぜひ期待したいところです。映画はまだまだビジネスチャンスがあると思いますよ。
神原
今回原さんに改めてお話を聞きし、映画業界全体に対する思いを知ることができました。ありがとうございました。
(本記事は、2013年01月10日にファイナンシャルマガジンに掲載されたものを再掲載しています)
今回原さんに改めてお話を聞きし、映画業界全体に対する思いを知ることができました。ありがとうございました。
(本記事は、2013年01月10日にファイナンシャルマガジンに掲載されたものを再掲載しています)
原 正人さん 映画プロデューサー
映画プロデューサー。 1931年生まれ。早稲田大学中退後、独立プロなどを経て、58年日本ヘラルド映画に入社。洋画ヒットを生むかたわら、邦画製作に携わる。81年ヘラルド・エースを設立、ミニシアターブームの基礎を作る。1998年、アスミック・エース エンタテインメント(現アスミック・エース)代表取締役社長に就任。その後同社会長、相談役を経て特別顧問に。
プロデューサー、エグゼクティブ・プロデューサーとしての主な作品に、『戦場のメリークリスマス』(1983年)、『瀬戸内少年野球団』(1984年)、『乱』(1985年)、『写楽』(1995年)、『失楽園』(1997年)、『リング』(1998年)、『突入せよ!「あさま山荘」事件』(2002年)、『明日への遺言』(2008年)、『武士の家計簿』(2010年)など。著書に『映画プロデューサーが語る“ヒットの哲学”』(日経BP社)