2017年12月20日 更新

〈中西元男〉デザインの力で経営革新を推進する 〜経営とデザインを結びつけた中西元男の軌跡

40年以上前に日本にCI発想を起こしたPAOSグループ代表/CI戦略コンサルタントである中西元男さん。経営者のパートナーとしてデザインと経営を関連づけて、100社を超える企業のCIに関わってきた方です。日本企業のブランド資産の基盤を、ゼロから創造してきたといっても過言ではないこれまでの軌跡についてお話をお聞きしました。

2015.3.28

意思決定者にわかるデザイン理論と手法を求めて

神原
企業のブランディング、ブランド資産やCIといった言葉を、日本に最初に紹介されました。ほんとうに「ゼロからイチを創る」イノベーターとしてのスタートのきっかけには何だったのでしょうか?

中西
高校を出て、親の反対を押し切って東京へ出てきました。そこで出会ったのがデザインでした。バウハウスシステムの教育に惹かれて桑沢デザイン研究所に通いましたが、このままデザイナーになっても、絵を描くとか、モデルを作ることは出来るけれども、商品化したり、売るという意思決定は、最終的には経営者がするのだと気付きました。そうすると、良いデザインを世の中に存在させるには、企業のトップに分かるようなデザイン理論やデザイン手法を開発しないといけないと考えました。
「デザインという分野は経済行為や生活・社会のインフラなどに、もっと関わりを持つべき職業ではないのか?」という思いがあったのと、企業化社会、資本主義社会の中で役に立つようなデザインとは何なのか、ということを探りたいと、半年くらい必死になって受験勉強し、早稲田大学に入学しました。

神原
そういう経緯だったのですね。大学在学中に「早稲田大学デザイン学部設置への試案」を書かれたそうですが、学生時代はどのような活動をされていたのでしょうか?

中西
「デザイン学部というのは、むしろ総合大学にこそ、あるべきだ。」と思って、「早稲田大学デザイン学部設置への試案」という論文を大学3年生の時に発表しました。当時の大浜信泉総長に呼ばれて「非常に面白いと思うのだが、一体誰が教えるのかね?」と質問され、絶句してしまったのですが、それならそこで考えたことを、自分達で実際に実験的にやってみようと考えたのが、そもそものPAOSという会社の始まりです。
今年秋の早稲田祭が来ると、ちょうどその提案から50年になります。

標準化によって、コストセービングを実現した日本初のCIプロジェクト

神原
経営者に分かるデザイン理論やデザイン手法を活用することによって、デザインと経営やマーケティングの境界線がなくなってくるとご指摘されています。それを実際に実現した日本最初の事例がマツダのプロジェクトですね。

中西
はい。デザインのガイドラインを作った最初の会社はTDKになりますが、本格的なCIとしては(マツダが)初めてです。

神原
企業は費用対効果を考慮しますので、やはり経営トップと話が出来なければこれは出来ないわけですよね。30年とか、あるいは100年続くブランド資産となる場合もあると思うのですが、どのようにCIの重要性を説明しているのでしょうか?

中西
例えば、マツダは「企業イメージにお金を投資する」といったことはまだ絶対難しい会社でした。マツダはその頃、オート三輪(車輪が3個の三輪トラック貨物自動車)の会社から乗用車メーカーになり始めたばかりだったんです。そこで、名刺とか様々なアイテムを集めてデザインを考えるときに、「標準化メリット」を打ち出しました。例えば、名刺を、それまでの1色刷りを2色刷りにしながら、一方コストは半減させました。例えばディーラー店舗は部材や工法を標準化して約35%のコストダウンをしました。標準化によって、イメージアップを図りながら完全にコストセービングを実現しました。

デザイン活用した経営革新は、外部を巻き込んで内部を変えていくこと

神原
企業がCIに取り組んだ場合の効果についてお聞きしたいのですが、美しいデザインを目にしたり、わかりやすい経営理念を耳にして、優秀な学生が入ってきて企業の成長を加速する、といったこともありますか?

中西
始める目的はそれぞれ違いますが、そういった副次的な効果は確実にあります。
例えば伊奈製陶をINAX(現LIXIL)に変えたケースでは、社名変更して、学生の人気ランキングが200位前後から、5年で50位以内に入るまでに上昇しました。会社の方が「当社は中部地方の学生は来るものの、なかなか関東や関西の学生は来てくれない企業だったのが、東大卒まで来てくれるようになった」と喜んでいたのですが、同席した若い社員曰く「INAXに入社したのに、来てみたら伊奈製陶だった」と。「それは、あなたがINAXにすれば良いのです」と言ったのですが(笑)。

神原
1985年のNTTのCIプロジェクトがその後のいわゆるCIブームのきっかけになったそうですが、NTTのプロジェクトでの成功のポイントについて教えてください。

中西
NTTのプロジェクトでは発足までの時間が無く、今まで官営、電電公社として115年やってきたものを何故わざわざ民営化するのかという強い反対が社内にありました。そこで、あえてブランドやロゴなどを徹底して変えることで、「内側から教育しても難しいから、それなら外側から見える姿を全部変えてしまおう」と当時の真藤総裁に提案しました。そうすると、「どうして変わったの?」と外部から問い合わせが来て、これに答えないといけない。そこから勉強が始まるのです。そのような「インダイレクト・コミュニケーション」という方法をとり、効果を上げました。このようにデザインを使って経営革新を図るというのは、外部を巻き込んで内部を変えていくという仕組みを用いることで、非常に有効な手法になると思います。

企業指針を推進することで、世界から尊敬される企業へ

神原
日本では、例えば首相がよく交代しています。同様に、企業もオーナーでない限り、業績が悪いとよく交代します。その中で、長期的なブランド資産を感じることが出来る経営者の資質を感じることはありますか?

中西
私は、そのような経営者に多く出会えたというのが大きかったと思います。経営者も初めからわかっていた訳ではないと思いますが、やっていくうちに気付いてきます。
ベネッセ(当時:福武書店)の創業者が上京して来られたときに、「とにかく、岡山県の一受験産業で終わりたくないので、相談に乗って欲しい」と言われました。非常に情熱的な方で、とにかく直せるところを直し、社名も変えてもいいともおっしゃったのですが、一気にそこまでやってしまうと、理屈は理解しても感情がついていかないということが起こります。そこは非常に重要です。

神原
経営理念から入って戦略に落とし込んでいくという、経営者自身が意思決定をする過程をパートナーとして一緒に考えるということですね。

中西
まず、企業指針として「情報化」「国際化」「文化化」を提案しました。
今でこそ、情報化、国際化は当たり前ですが、当時、地方の受験産業がそれを掲げたところがすごい。実際に「情報化」を推進するため、IBMの大型コンピュータをドンと導入し、とにかくデータを入れていきました。その活用がやがて、旺文社や学研を追い抜き、福武書店を日本一の受験産業企業に押し上げたのです。
そして「国際化」の指針に基づいて、ニューヨークに現地法人を作ってしまいます。これがやがて、ベルリッツを買収することにつながっていくことになる訳です。これは、日本で株式を上場していない企業が、ニューヨーク証券取引所に株式を上場している企業を買収したということですから、画期的でした。
もう一点、「文化化」ですが、これは福武哲彦創業社長とお話をしていたときに、「どうして書店なのですか?」とお伺いしたところ、福武創業社長は恥ずかしそうに「いや、実は岩波書店のような、文化の香り溢れる会社にしたかったので“書店”としたのです。」と言われた。それで「文化化」というキーワードを入れました。

神原
欧州では、ベネッセは知らないけど直島なら知っているという人が多くいるそうです。世界中からリスペクトされるファミリーになったということは、すごいことですね。

中西
文化の力だと思います。福武さん(現会長)が海外の企業とビジネス上の折衝をしていても、「中西さん、8割は直島の話で、実務の話は2割です」と(笑)。それほどまでに、文化というものは出来上がってしまうと大きな力を持つものです。またそれをパトロネージしていった会社であり、経営者であるということです。Commodity speaks, Culture whisperといいますが、伝わってしまうと文化は大きな力を持つということの、一つの証左だと思います。やはり、言葉や目標というのは重要で、想わないことには何も実現しません。強い想いを持つこと、そして共有化することが重要です。

経営に「感性力」を活用することが将来的な企業の発展につながる

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