2017年4月24日 更新

『いつかはお会いしたいと思ってました。』(福沢諭吉・樋口一葉・野口英世)

あなたは毎日使う『お札』と対話したことがあるだろうか。

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2017.4.1
なにかを買ったり、利用するために当たり前のように財布から出し、生活を彩るサービスやモノを手に入れている。そんな私たちの生活と心を支えているお札の顔として選ばれた、日本を代表する三人の偉人、福沢諭吉・樋口一葉・野口英世。

彼らはどのような心境で紙幣としてのデビューを果たしたのか。そして、輝かしい功績の裏側に隠された苦労と素顔とは。ファイナンシャルアカデミー独占取材、2017年によみがえった三人との夢の対談がはじまる。

■お札としてスタートした第二の人生

—お札デビューした頃は、どんな気持ちでしたか。

「私はデビュー当時149歳でして、この歳になっても選んで頂けたという驚きが大きかったです。人生なにがあるかわかりませんな。」(福沢)

「わたくしは初の女性メンバーでしたので、とても緊張いたしましたわ。顔写真の撮影もうまくいかず、テイク21くらいでようやく今の写真が撮れたのです。」(樋口)

「僕はお札の中で一番使ってもらえる千円札のデビューを望んでいたので、とっても嬉しかったです! 右見ても左見ても、僕の顔ばかりですからね!」(野口)

驚きや緊張、喜びなど、いろいろな感情が溢れていたようだ。

■日本の歴史に名を響かせた、それぞれの偉業

—紙幣に抜擢された理由ともいえる功績についてお聞かせください。福沢さんは『学問のすゝめ』が有名ですが、他にも日本に銀行や保険を初めて導入し、金融業界に大きな変化をもたらしましたね。

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慶應義塾大学にある福沢諭吉像。
ダンディさに定評がある一方、
「うちのおじいちゃんに似ている」と
言われることもよくある。
「私は海外へよく出かけておりましたゆえ、日本にはない施設やサービスを見ることが多々ありました。その中でも『中央銀行』や『保険』の存在は日本の未来に欠かせないものだと思い、すぐに取り入れる準備をはじめたのですが……、最初はこうした西洋の考え方が浸透しませんでしたね。仲間たちと長きに渡る説得と施策を繰り返して、ようやく成功することができました。」(福沢)

—樋口さんは、ある日突然お父さんのサイドビジネスが失敗し、多額の借金を背負うことになったとお聞きしましたが……。

「はい、父は借金を残したまま間もなく他界してしまいました。わたくしは返済のために雑貨屋を営みながら、大好きな小説を細々と書き続けまして……。でも苦しい環境だからこそ、読者のみなさんと同じ生活の目線を持つことができたのだと思います。『たけくらべ』 や『大つごもり』などの作品を通してファンの方が増えていくようになり、もちろんお金はあるにこしたことはないのですが、貧乏も大切な経験になると思えました。」(樋口)

—野口さんも、お生まれは貧しい農家だったとお聞きしました。どうやって医療研究の道を続けられたのですか?

「母や友人、恩師の支えが大きかったですね!母は熱心に働いて、僕を学校へ進学させてくれました。もともと不自由だった左手も友人たちの寄付金によって手術ができましたし、恩師は僕の学費を負担してくれました。特に左手の手術は僕の人生を変えてくれた。医療の素晴らしさを身をもって知ることができたんです。だから支えてくれる人のためにも、絶対に医者になってたくさんの人を救うんだ!と、必死に梅毒や黄熱病の研究に取り組みましたね。」(野口)

—かの有名な研究や作品、功績が生まれるまでは、厳しい環境に耐え抜く力と、背中を押してくれる人の支えが不可欠だったようだ。

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