2018.11.12
再び訪れたピンチを救ってくれたのは佐賀県だった
STAGE編集部:芸人を目指す際、佐賀から飛び出したはなわさん。戻ってからの生活は?
はなわ:家族の仕事も終わったから佐賀に移住して、僕は仕事があれば単身赴任というカタチ。もう家族の仕事はするつもりもなかったんです。でも、逆に佐賀に住んでいるから面白いという事になって、当時始まった『有吉ゼミ』という番組がわざわざ佐賀に来て取材してくれることになりました。
うちの子供たちデカくてご飯をいっぱい食べるので、僕が家族の料理を業務用のフライヤーを使って作っているのを取材に来たんですが、そういうタイミングで長男が柔道で全国3位になって。しかも、東京の強豪校からスカウトが来たのに佐賀の高校に行くと。地方の普通の県立高校の柔道部が、全国でどこまで戦えるか?ってドラマがあるからこそコーナーが育って行ったんです。
計算ではなく、偶然がいろいろ重なりましたが、自分も『佐賀県』の歌で仕事がもらえるようになったし、うちの家族は佐賀県に恩返しをしないといけないと常に言っています。
はなわ流の子育て。自立を促す「自学自習」とは
STAGE編集部:はなわ一家の教育はどんなもの?
はなわ:絶対的に大事なのは「自立」で、親の言う事なんか聞いているやつは駄目だと思っています。僕自身、受験勉強などから逃げていたからすごく後悔してますけど、一方であのとき学校に行かなかったから今があるわけですし。だから息子はずっと柔道をやっていますけど、全然辞めても良いと思ってるんです。あえて「柔道だけの人生ってなんだ?」みたいなことを言ったりもします。だけど長男はすごいと思いますよね。僕とはまた全然違う人生というか、あんなきつい練習に毎日行って、汗だくになっているんですから。
STAGE編集部:好きだからこそ、あえて放任している?
はなわ:そうですね。実際、僕のところに大学推薦の話も来ていますけど、嫁には伝えるけど子供には一切言ってません。そんなのもし言って、僕のせいで曲がったりしても困るから。高校進学のときも、長男から佐賀工業に行くと聞いたときは夫婦で「マジかよ、やばいじゃん。工業行っちゃうじゃん!」と(笑)。普通に他の強豪校からもスカウトが来てたし、うちらの時代は佐賀工業って、ちょっと不良がいっぱいのイメージだったんです。でも、これも結果的には大成功。先生が素晴らしい方でした。礼儀なんかは僕よりも先生の影響が大きいぐらい。