2017.11.6
至極単純明快な名前を持つ小林一三は、山梨の商家で生まれました。さまざまな面を持った実業家である小林はどんな男だったのでしょうか。
順調に出世していたエリートサラリーマンから一転……
実業家のイメージの強い小林ですが意外にも大学を出てからは、三井銀行(現・三井住友銀行)の銀行員として東京でサラリーマン生活を過ごしています。元来優秀な彼は、めきめき頭角をあらわして順調に出世の階段を登っていきましたが、34歳のときに転機が訪れます。
「大阪で証券会社を作りたいから手伝ってほしい」と北浜銀行の設立メンバーで昔の上司であった岩下清周から誘われて、あっさり銀行を辞めて大阪の地に降り立ったのです。しかし、折からの不況で、証券会社の話はあっさりと立ち消えになり、大阪で妻子を抱えて路頭に迷うことになりました。
失意の後にチャンスがある
金がないから何もできないという人間は、金があっても何もできない人間である。
この言葉は、功成り名を遂げたのち、小林一三翁が人生を振り返って残した言葉だと言われています。
独立し実業家になることを夢見て、大阪にやってきた小林にとって出鼻をくじかれるような出来事の連続だったと思いますが、残した言葉どおり金がないから何もしない男ではありません。当時、まだ工事中だった「箕面有馬電気軌道」(のちの阪急電鉄)に目をつけて、北浜銀行の岩下を説得し株式を買い取らせて、自らは箕面有馬電気軌道の専務になったのでした。
人気のない鉄道会社
無職からいきなりの鉄道会社の重役になるって、どんな離れ業!?という疑問もわくだろうと思います。もちろん、エリート銀行員としての評判と経験と人脈が役に立ったのですが、すんなり重役におさまったのにはもうひとつ理由があります。