2018.12.19
思考信託できる人を見つけられたとしても、その人があなたのためになにも力を貸してくれなければ、流されることはできません。情報などを教えてもらうためには、自分自身が「教えてもらえる人間」になる必要があります。
熟した実は多くとも、それをもぎ取る人間が少なすぎる。
教えを受ける者は多いが、
教えを施する者はあまりにも少ない。
サミュエル・スマイルズ著『自助論』より
教えを受ける者は多いが、
教えを施する者はあまりにも少ない。
サミュエル・スマイルズ著『自助論』より
自分の考えや常識は取り払おう
前回は思考信託をする相手であるトラスティについてお話ししました。
しかし、せっかく自分の目標とするトラスティが日の前にいたとしても、アドバイスをしていただけなかったり、声をかけていただけなければ、「流される」ことはできません。
しかし、せっかく自分の目標とするトラスティが日の前にいたとしても、アドバイスをしていただけなかったり、声をかけていただけなければ、「流される」ことはできません。
思考信託は、こちらから一方的に「教えてください」という関係ではなく、トラスティが「この人に教えたい」と思える「自分」にならなければ成立しない関係です。
この回では、トラスティから見て、「教えたくなる人間」になるために、なにをすればよいかをお伝えしていきたいと思います。
「我」を出すと遠まわりの人生が待っている
学生のときは、先生や塾の講師の指導を素直に聞くものですが、社会に出た瞬間に経験や学歴などが邪魔をして「自分はある程度できあがっている」と勘違いし、人の言うことを素直に聞けなくなってしまう傾向があるように思います。
なぜか日本では、自分の考えをしっかりもっていることを美徳、かつ大人の人間として評価することが多いようです。
僕には「自分の考えが絶対だ」という刷り込みが日に日に積み重なることによって、頑固な人間をつくり出しているように思えてなりません。