たとえば、知名度のあるホテルチェーンに予約するよりも、体験型の宿泊を提供する「Airbnb」が破竹の勢いで急成長していることでもその潮流はあきらかです。以前のように、旅行会社にツアーを組んでもらう安心感よりも、思い立ったその日に常識とは違う旅行ができる探求心を選ぶ人が増えたのです。
数多くのホテルや従業員を抱えるホテルチェーンではなく、物質的には何も持たないサービスを提供するエージェンシーがより成長していることは、こうした世相を如実に映しているといえます。
諸刃の剣である個人主義の拡大
選択の自由が拡大したことで、個人主義が拡大するのは当然のことです。ランチーニ教授は、この個人主義はある種の自己陶酔でもあると主張します。過去にはなかなか体験できなかったことができるようになったこと。これは、個人個人の視野を広げるという点においては大変なメリットであることに変わりはありません。
しかし同時に、こうした行動がやがて自己中心型の人格形成にもつながりかねない危険を含んでいるといえます。
オンライン上で構築されるさまざまなコミュニティはさまざまなメリットが多い半面、仕事においてもプライベートにおいても真のパートナーとなる人物との人間関係を紡ぎだすことが困難になっているという説もあるのです。
アプリは「手段」にすぎない
我々「ヒト」は、学名を「ホモサピエンスサピエンス」といいます。音声や身振りで、他者とのコミュニケーションを図れることから、「サピエンス」が二度繰り返されているのです。つまり、人間本来の社会の礎が他者とのコミュニケーションにあることが、人間を人間たらしめた要因であったのです。内向に向かう現代の傾向は、本来の姿から離れた憂慮すべきことなのかもしれません。
コミュケーションのために、スマホやアプリは非常に便利なツールです。しかし、それらはあくまで手段であることを、オトナである我々はよく自覚しておかなくてはいけないでしょう。
最後に
貧しかった時代から、モノが豊富な時代を経て、我々はいまなにかを所有することに倦んでいるのかもしれません。社会の動きとは、常に前時代の反動であることを考えればこれは当然の動きかもしれません。時代の流れに巻き込まれない知力とは、太古の昔も日進月歩のテクノロジーを誇る現代においても、なにものにも勝るパワーなのです。
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