2017年7月12日 更新

世界最高の英語教育法でグローバルな展開を

株式会社 GABAを経営される青野 仲達氏に「グローバルな舞台で生き残っていくために必要な英語教育」をテーマに語っていただきます。インタビュアーはレバレッジコンサルティング株式会社 代表取締役社長兼CEO 本田直之氏が務めます。チャレンジングな青野氏の生き方に学びが満載です。

2015.3.28

「英語を日本人の得意科目にするために…」 世界を舞台に活躍する人たちの一歩に貢献したい

今回は、株式会社 GABAを経営されている青野 仲達氏をお迎えしました。青野氏は、アメリカン・エキスプレス・インターナショナル,Inc.を経て、ハーバード大学にてMBAを取得後、アメリカで創業した『イングリッシュタウン』の日本法人を設立、その後『GABA』を創業者から引き継ぎ、経営されています。
インタビュアーは、今や68万部を超えるベストセラー「レバレッジ・シリーズ」の著者であり、レバレッジコンサルティング株式会社 代表取締役社長兼CEO 本田直之氏が務めます。
これからの日本が、グローバルな舞台で生き残っていくために必要な英語教育とは?読み応え満載の内容を、ぜひご一読ください!

会社を辞めてハーバードへ 卒業後は、何をやったらハッピーになれるかを考えた

本田:以前から、『GABA』は非常に面白い学校だなと思っていたんです。僕は26歳まで英語はしゃべれなかったので、26歳から試行錯誤をしながら英語の勉強をやり始めて、やはりマンツーマンがいいなと思いました。マンツーマンじゃないとあまり意味がないと思います。
青野:『GABA』は、最初は、講師宅での外国語教授サービスから始まりました。そのうちに、場所を作って、そこに先生も生徒も来て、という形で作り始めたものが、ブースはこんな形がいいとか、どうせやるのならもっと駅に近い方がいいとか、色んなことが加わって今に至っています。12年間ずっと、マンツーマンというものが進化してきたのかなと思うんです。マンツーマンそのものというのは太古の昔からあるのですが、マンツーマン英会話を規模も大きくして利益も確実にあげるという形に進化させてきたのが『GABA』という会社の歴史なのかなと思います。

本田:青野さんのインタビューなどを色々拝見しましたが、非常にソフトで楽しい方だなと感じました。色々なことをやってこられたんですね。資料を拝見して初めて知ったのですが、ベンチャーも経験なさっていますね。もともとベンチャー志向だったのですか?

青野:ベンチャー志向なのか、大企業志向なのかということは、あまり考えてなくて、今何がやりたいのかということや、今こういう人と会ったから、次は何をやろうというように、感覚的に動いているようなところはあると思います。今これをやるのは面白いかどうか、やるべきかどうかということを、感覚的に決めているようなところがあります。

本田:自然体なんですか?

青野:自然体といえば自然体かもしれないですね。ビジネススクールに行っていた時期がありますが、それも会社から選ばれて派遣されていったということではなくて、会社は辞めて、さてどうしようというところから行ったんです。
ビジネススクールに行ったこともそうなんですけど、行った上で卒業して何をしようと考えたときに、普通の選択肢ってあるじゃないですか。コンサルタントになれるのかなとか、投資銀行とかに行くといいのかなとか、大企業でこれくらいのポジションでとってくれるのかなとか、何となくわかる選択肢というのがあると思います。でも、そういうことではなくて、何をやっているとハッピーなのかなということを考えてみたんです。
まず思ったのは、自分の考えを試してみる場所があったら楽しいだろうなということです。
2つ目は、世の中の幅広い層の人にアピールする仕事をしてみたいということです。話が合う人だけではなくて、おじいさんも、子供も、これいいね、楽しいねと言ってくれるような、世の中の幅広い層の人にアピールすることができれば、それは楽しいだろうなと思いました。3つ目は、志が同じ人と仕事をするということです。規模が大きいとか、小さいとかいうことではなく、志が同じ人と一緒に仕事をしたいと思いました。4つ目は、グローバルな環境で仕事をするのが、自分は楽しいんだろうなということです。そして5つ目が、言葉を使ったコミュニケーションに携わっていたいということでした。
だから、コンサルタントなのかベンチャーなのかという話は全く入ってなくて、こんなことができたら自分は楽しいということを、卒業の時点で思っていたんですね。

本田:そういう考え方というのは、学生時代とか若い頃の体験から出てきているものなんですか?

青野:そうですね。

本田:ハーバードに行かれてこういう風になってきたということではないんですか?

青野:そうではないですね。その時期に、戻る場所があるわけではないし、何かやらなければと色々考えた感じです。

世界の一流どころが集まるところで何かやってみたくて、ハーバードへ きっかけは、ある人の「そこで君は変わるだろう」の一言だった

本田:会社を辞めて、ハーバードに行かれたんですね。会社から行かれたのかと思っていました。

青野:アメリカン・エキスプレス・インターナショナル,Inc.(以下、AMEX)には8年間いましたが、退職して、ハーバードに留学しました。5年間はずっと営業で、その後3年間は経営企画みたいなことをやっていました。ずっと営業をやっていたので、現場のオペレーションも見てきました。その後、会社というもっと上の視点で経営を見るようになり、やることはやったかなという感じはありますね。
AMEXという会社はグローバルな会社で、1980年に日本に本格的に参入しました。「出かけるときは忘れずに」というテレビ広告を覚えている方もいらっしゃるでしょう。それから日本での投資を十数年やって、AMEXの中でも、日本事業をこれ以上大きくしようということではなくなってきて、南米とかヨーロッパにシフトしていきました。ですから、部署がなくなったりとか。私がいた部署もなくなったんですね。そんなこともあって、じゃあ新しいことを初めてみようかと考えたのです。

本田:ハーバードへは、自費で行かれたんですか?結構お金がかかって、大変だったのではないですか?

青野:覚えてないんですよ。もちろんお金は作っていったんですけれど。よく、「1年いくらくらいかかりましたか?」って聞かれるんですけど、覚えてないんですよ(笑)。

本田:余裕ですね(笑)。

青野:そういうことではないんですけど。安い寮に住んで、ボストンって寒いので、牛乳とかを買って窓の外に置いといたら、冷蔵庫要らないかなとか(笑)。そんなことをやっていました。別にお金に困っていないわけではなかったのですが、それとは別で、お金には困っているんだけど、それで大変だからやめようとも思いませんでした。

本田:ハーバードだと、なんだかんだで、2000万円くらいかかりますよね。

青野:そうですね。別に奨学金とかもなかったし。

本田:僕も自費で行ったんですけど、3年働いて500万円ためて、足りなかったので、後は上場させた会社の創業者が先輩だったので、そこからお金をもらいながら行きました。

青野:AMEXで8年働いていて、退職金みたいなものも少しはありましたので。

本田:僕なんか1日2ドル50セントで生活していましたよ(笑)。マックにも行けませんでした。AMEXを辞められて、ハーバードに行かれたときって、行く前にこういうことしようと思って行かれたというわけではなかったんですか?

青野:それはないですね。ただ思ったのは、やはり何か楽しいことがしたいというか、ワクワクすることがしたいということです。ちょうどその頃、格闘技かメジャーリーグかスポーツ関係だと思うんですけど、「自分を成長させたいと思ったら、世界の一流どころと勝負しなければ成長できない。その場に出ていかないと成長できない。」というのを読んだんです。その通りだと思って、何かできるのであれば、何をやりたいのかはわからないけれど、世界の一流どころの人が集まっているところにとにかく行ってみたいと、すごく思いました。それは、オリンピックとか、メジャーリーグとか、色々あると思うんですけど、医学の世界に行けるかっていうと行けるわけないですよね(笑)。行けそうなところって考えたときに、ビジネススクールっていうのは行こうと思ったら行けるのかなと思ったんです。

本田:ハーバードは行こうと思っても行けないですけどね(笑)。
青野:それで、ハーバードに行ってみようかなと考えました。ハーバードって、行く前には、「行くな」っていう人が多いんです。「あそこは良くない」という人が多い。たまたま、やはりハーバード出身で、年配のイギリス人の方と話をすることがあったんです。その人と色々話して、自分のこともわかってくれた上で、「君みたいな人間は、ぜひハーバードに行くべきだ。君は行くと2年間できっと変わるだろう。ハーバードという学校が君を変えてくれるだろう。」と言ってくれたんです。「行く前から言っておくが、2年間で勉強することは、半年たったら全部忘れるけど(笑)、2年間で君は変わるんじゃないか。」と言ってくれました。そういうことを言ってくれたのは、その人だけでした。他の人の言うことって、何か嘘っぽいんですよね。「あそこはエリートが集まって、人を蹴落とす弱肉強食の世界だから」とかって言われるんですけど、何か腑に落ちない。本当かなあっていうのがあって、そんな中で、その人が一言「You will change」と言ってくれた。だったら行こうと思っていきました。

『イングリッシュタウン』から『GABA』へ きっかけはいつも「一緒にやっていきたい」ということだった

本田:ハーバードに行かれて、卒業のときに、『イングリッシュタウン』というのを作られていますが、これは何だったですか?

青野:これは、たまたま会社がボストンにあって、そこで何人かの人達でオンライン部門を作ろうとしていたのです。ちょうどインターネットで、AmazonやeBayなどが大きくなり始めた頃で、彼らは、インターネットと英語って親和性があるんじゃないかと考えていたんです。
場所がボストンで近かったので、その人達と話をする機会があって、そこに入りました。同じビジネススクールのクラスメイトがCFO※1になって、という感じで作りました。日本とか色んな国が市場にあるということで、十数人のメンバーの中に、7~8の国籍の人がいました。そんな感じで作って、2年くらいボストンにいたんですよね。なんとなく形になってきたときに、一番大きなマーケットって日本だろうということで、日本に戻って、日本の支社というのを作りました。今でも恵比寿の駅の近くにあります。今は僕の友人が経営しています。

本田:あの『イングリッシュタウン』の創業メンバーでいらっしゃるということですね。結構調達もされたんですか?

青野:そうですね。最初は日本円だと20億円くらいベンチャーキャピタルなどから持ってきました。日本法人を作ったときは、資本金5億円くらいでしたが、それも日本のベンチャーキャピタルから持ってきました。

本田:面白い展開ですね。それで日本で『イングリッシュタウン』をやられて、この事業は仲間に引き継いでという感じですか?

青野:はい。『GABA』という会社は1995年に創業されていて、ちょうどその頃、その創業者と話をする機会があったんです。インターネットとリアルは違うのですが、「今までの英会話学校を変えたい。今の学校の英語教育を変えたい、根底からくつがえすようなことをしたい。」ということで、すっかり意気投合して、いつか一緒にやろうと話をするようになりました。正式には2004年に、僕は『GABA』に移ってきて、創業者から事業を継承するような形でMBO※2をして今にいたるという感じです。

本田:MBOをした理由っていうのは、何かあるんですか?

青野:最初に、「ベンチャーをやろうと思われていましたか?」とのご質問がありましたが、そういうことは本当に考えたことがないんです。『イングリッシュタウン』を何人かのメンバーでやろうと言ったときも、留学の会社をやっていた中にアメリカ人とかスウェーデン人とかがいて、むこうは何者かわからないけど、日本は大きな市場になるので、日本人っているんだろうなと思っていて、一応面接みたいな形で始まりました。その中にビルというアメリカ人がいて、たまたま偶然なんですけど、彼は有名なカリスマ的CEO※3の息子だったんです。彼と話をしているときに、何をやりたいんだという通り一遍の話をしている途中で、「話をしているうちに、一緒に仕事をやりたいと思ってきたから一緒にやろう。」ということを言ってくれて一緒にやるようになりました。
『GABA』の創業者と話をしているときも、そんな感じですよね。話をしていて、何かやってみたいな、一緒にやれそうだなっていう感じです。そんなものがあって、今に至っているという感じです。

本田:青野さんが『GABA』に入ろうと思ったときって、MBOありきではなかったんですか?
青野:ありきではないですね。一緒にIPO※4とかもできたらいいなというのもあったんですけど、色々な選択肢を考えていく中で、創業者が、「残ってIPOではなくて、これからもっと新しい会社にしてほしいんだ。自分は残らなくてもいい。」という形になりました。MBOするためにファンドから送り込まれたのではないかとか思われたりもしたようですが、そういうことではないです。

本田:非常に面白い話ですね。そこでエヌ・アイ・エフSMBCベンチャーズ株式会社(以下、NIF)がスポンサーになったのですね。

青野:そうですね。

本田:もともとMBOのスキルを持っていたというか、経験があったわけでもないですよね。

青野:ないですね。

本田:未上場の段階でMBOをやるのって、あまり見たことがないというか。よくできましたよね。どうやってやったんだろうって結構興味あるんですけど。

青野:そうですね、それも、もしかしたらわかってたらできないという部分もあるのかなと思います。まずやるかどうか、やりたいかどうか、面白そうかどうか、のってみるかどうかということを感覚的に決めて、あとは何か形にしていけばいいんじゃないかという考え方をするときがありますね。

本田:面白そうかどうか、それがまず、大事ということですね。それも面白いですね。この当時、何かの記事で見た記憶があるんですけど、結構な額でしたよね。

青野:そうですね。数10億です。

本田:すごいチャレンジだなと思いました。2004年6月ですから、ちょっとマーケットもよくなってきたかなというくらいで、そんなにメチャメチャよかったわけでもなかったですよね。NIFはどこかからの紹介ですか?

青野:紹介ではないですね。普通にサーチをして、いくつか話をしていた中の一つです。

本田:結構すごいですよね。どこかで、ケーススタディとかになりそうな。

青野:普通ファンドっていうと、CEO送りこんだりCFO送りこんだりしてはじめて成立するようなところがあるんですけれど、当時のNIFの社長さんと話をしていく中で、なぜかわからないんですけど、「この人だったらやらせたい」と言ってくれて、それが上手く形になった感じです。

本田:非常にユニークな形ですよね。MBOされたときって売上はどれくらいだったんですか?

青野:2004年は38億円くらいです。

本田:今の半分弱くらいですね。チャレンジですよね。
これは今思いついた質問なんですが、創業者利益ってどう思われますか?青野さんもある程度は、こういう風にイグジットされたのかなと思うんですが、そういうところはどういう風に考えていらっしゃるんですか?

青野:私は全然イグジットはしていません。

本田:僕も上場したときには当然売ってないですね。やっぱり上場って通り道でしかないと思っているので、その時点で売るっていうのは、自信がないからそうするんだろうなと思います。そこから、それをもとに大きくしていくのが本来の上場の意味だと思っているので、自分なりの会社の規模なり利益なりを考えておいて、そこまで行ったらある程度売っていこうかなというのがあって。

青野:今の時点では全く考えていないですね。やっぱり会社をどんどん次のフェーズに載せていきたいなと思っています。創業者というものにはあまり意味がなくて、ただ経営者には意味があると思っていて、やはり会社の成長のフェーズにあった人間が、会社を率いていくのだと思います。自分ができそうなことっていうのは、会社を次の成長のフェーズにのせるということで、それで会社を進化させたいと思っているので、その過程でいつかそういうことに目が行くのかもしれないんですけど、今は全く考えていないですね。

※1 最高財務責任者(Chief Financial Officer)
※2 マネジメント・バイアウト/ 企業の子会社や事業部門の経営者、従業員がベンチャーキャピタルや金融機関から資金を調達し、その子会社の株式を買い取ったり、新会社を設立し営業を譲り受けることで独立する形態のこと。
※3 最高経営責任者(Chief Executive Officer)
※4 株式公開(Initial Public Offering)
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