2017.12.25
人を強く信じても、人の行いを信じない(過信しない)
この言葉だけを聞くと「人でなし」といった印象を受ける人がほとんどではないでしょうか。俗に使われる表現だと性悪説で人を見ているとも言えます。しかし、これと同じような考え方は中国の思想家である韓非による「韓非子(かんぴし)」にもあります。「人主の患いは人を信じるに在り」です。具体的な事例を見ながら確認していきましょう。
銀行のATM
入行したての銀行員がよく聞く話を紹介します。ある支店の銀行ATMでお金を引き出した人がいました。しかし、急いでいたこともあり肝心の引き出したお金をそのまま受取口に放置してその場を離れてしまいました。駐輪所着いた時にお金を取り忘れたことに気付いたので、その人はすぐにATMに戻りましたが、既にお金は無くなっていました。もしかしたら銀行が保管をしてくれているのではと期待して防犯カメラを確認してもらいました。しかし、残念なことに防犯カメラにはATMの後ろに並んでいた人が持ち去った映像が残っていました。お金を持ち去られた怒りもありながらも、つい魔が差したとのではと少し同情してしまいました。
現金を持ち去った人は当然犯罪を犯しています。悪い行為です。しかし、もしそこにお金が放置されていなければ、その人は犯罪を犯したでしょうか。もしかしたら、犯罪を犯さなかったかもしれません。たぶん、自分のお金を引き出すつもりで並んでいた人です。しかし、つい現金を目の前にしたためお金を持ち去ったのかもしれません。そうです、まさに「人の行い」は状況次第では180度変わる可能性があるということを表しています。
犯罪を犯すほうは当然悪いので擁護する気はありませんが、もし、現金を引き出す人が注意できたならば、もしくは、ATMがそのような行為を阻止できることができたならば、最悪の自体を避けられたかもしれません。
悪い報告
人は調子が良い時には饒舌になります。また、多くの人に伝えたくなります。しかし、状況が悪くなると、言葉は少なくなり、出来るだけ多くの人の知られないようにする習性があります。もし、ピンとこないみなさんは、学生時代のテストの結果を思い出してみてください。こっそり答案用紙の証拠隠滅をした人もいるのではないでしょうか。
さて、富裕層になる人は、お金が増える過程で必ずどこかにお金を預けたり、どこかの金融機関で運用をしたりします。プレ富裕層は、運用の際に大切にしているのは、「必ず自らパフォーマンスや残高を報告書で確認する」ことです。それは、なぜでしょうか。
プレ富裕層は知っているからです。担当者に運用成績はどう?と聞いたところで、もしあまりパフォーマンスが良くなくても、悪い情報はあまり伝えられないことを。だからこそプレ富裕層は、自分でその報告書を理解できるまで何度も質問をしてきます。担当者を人として信じていても、行いにはバイアスがかかっている可能性があると心を鬼にして報告書で確認します。だからこそ、「まぁ報告してくれるからいいや」、「多分大丈夫」といったことには絶対になりません。