「日本のウォーレン·バフェット」と呼ばれる静六はどんな人物だったのでしょうか。
10億円の資産を作ったサラリーマン
わたしには確信があります。特別ではないことの積み重ね。「平凡を極める」ことこそ、個人投資家にとって成功の近道だと感じています。
みなさんに紹介したい大先輩がいます。
本多静六(1866年〜1952年)です。
江戸末期に生まれ、明治維新、日露戦争、太平洋戦争を生き抜いた投資家が、
生涯をかけて築いた資産はいくらでしょうか。
生涯をかけて築いた資産はいくらでしょうか。
なんと、現在の金額で「10億円」にも及びます。
彼はプロの投資家ではありませんでしたし、経営者でもなければ、
お金持ちの息子でもありませんでした。現役時代は,東京農科大学(現在の東京大学農学部)で教授を務めた人物で、サラリーマンだったのです。国立大学勤務でしたから、決して高給取りでもありませんでした。
お金持ちの息子でもありませんでした。現役時代は,東京農科大学(現在の東京大学農学部)で教授を務めた人物で、サラリーマンだったのです。国立大学勤務でしたから、決して高給取りでもありませんでした。
そんなサラリーマン教授が、なぜ10億円もの巨額資産を蓄えることができたのか。
答えは、拍子抜けするほどに単純です それは――。
答えは、拍子抜けするほどに単純です それは――。
貯まる仕組み「給料4分の1天引き貯金法」
「給料4分の1天引き貯金法」。
本多静六は、これを25歳から一生涯コツコツ続けました。給料が入ったら、4分の1を給料袋から引き抜いて「もらわなかった。なかったことにした」というんですね。月収が25万円なら6万円が貯金に回る計算です。
むろん、彼には家族もいましたし、親戚とも同居していたようですから、若いころの生活は苦しかったといいます。しかし、彼にはある長期的な目標がありました。それはこういうものです。
「四十までは勤倹貯蓄(倹約に務めて貯金にはげむ)、生活安定の基礎を築き、六十までは専心究学(学問を究めるために集中)、七十まではお礼奉公(社会貢献)、七十からは山紫水明の温泉郷で晴耕雨読(晴れの日は土いじり。雨の日は読書)の楽居」(本多静六『私の財産告白』より)