2017年12月21日 更新

〈渡部 建〉新たな挑戦と継続が、未知なる世界を拓く

「お金とは、通知表のようなもの。(渡部 建)」

2017.3.9
お笑いコンビ、アンジャッシュの渡部建。「王様のブランチ」の新MCに決定するなど、MCにゲストにテレビで見ない日はないほどの活躍ぶり。またグルメ、高校野球など多趣味でも知られ、その趣味を仕事にしてしまう天才でもある。果たして渡部建は生き馬の目を抜く芸人の世界で、いかにして今のポジションを築き上げてきたのか? その道程を紐解いていく。

■デビューの頃、いつ芸人をやめてもおかしくない状況だった

STAGE編集部:駆け出しの頃、仕事は順調だったんですか?

「21歳で芸人になったんですが、デビュー当時はもう全然ダメでしたね。ライブや番組のオーディションはありましたけど、オーディションなので仕事ではないですよね。10連休とか当たり前の毎日でした。今考えると、とっくに芸人をやめてなければいけない状況でしたね。

仕事がなかったので当然生活も厳しくて、当時は年利30%近くでしたけど、消費者金融で借金していました。給料を全部返済にまわしても元金がぜんぜん減らないんです。

当時付き合っている子にもお金を借りていたし、親にも『歯医者行くからお金くれ』って嘘ついたりして、もうボロボロの状態でした。その後、全部返しましたけど、今考えると本当にダメでしたね」。

―芸人の世界においてスタイリッシュで几帳面なイメージのある渡部建。しかし、そのスタートは前途多難。成功のカケラも見えないどん底からの船出だった。

■救ってくれたのは、先輩芸人の熱い想い

STAGE編集部:そのような辛い状況で不安にはならなかったんですか?

「もう不安も不安ですよ。20代後半になって、相方の児嶋が本気でやめようとしたんですが、その時に先輩芸人のX-GUN西尾さんが説得してくれたんです。『ネタもウケてるし面白いんだからやめるな。お前らが解散するんだったら、俺らも解散しなきゃいけなくなるし』と。その先輩の熱い想いを受けて、あと一歩のところで踏みとどまったんです。当時、児嶋に『やめよう』と言われていたら、あの頃の僕なら『いや、続けよう』という根拠はどこにもありませんでした。確実に芸人をやめていたと思います。

だから、西尾さんには本当に感謝してるんですけど、いまだに会うと『あのとき俺がいなかったら、お前ら今いないんだから』と。普通はシャレで『100万くれ』とか言うじゃないですか? でも西尾さんは『月に5万くれ!』と。そのリアルなお願い何すか!って(笑)。でもそのおかげで今がありますね」。

―成功の糸口さえ掴めず、あきらめかけた時に得た先輩の言葉。何も見えてはいなかったが“続ける”という選択肢を選んだ結果が、次につながった。

■芸人としての転機は、テレビじゃなくてラジオの帯番組だった

STAGE編集部:仕事が順調に回り始めたのはいつ頃だったんですか?

「2004年、31〜2歳の頃に『エンタの神様』などネタ番組のブームが来たんですよ。一気に営業の仕事も増えて、レギュラー番組も増えて、もう天下取ったぐらいの調子こきまくりの時期でした。

でも、そんなにうまくはいきませんでした。バラエティ番組にバッと呼ばれて、一通りいろんな番組に出させてもらったんですけど、ぜんぜん結果が出せない。だから徐々に出演が減っていって、また仕事のない毎日に舞い戻ってしまいました。
そんな時にJ-WAVEの『PLATOn(プラトン)』という帯番組のオファーが来たんです。「月曜から木曜、夜10時から12時までやりませんか?」と。お笑いの仕事でもないしコンビの活動もできなくなるからと躊躇したんですよ。でもマネージャーがせっかくのチャンスだからというので受けたんです。

そこが、転機というか、第2の修行期間になりました。2007年から3年間やったんですが、そこで1,500人ぐらいの方にお会いできたんです。そして『PLATOn 』が終わってラジオからテレビに戻ってきたら、勝手に「物知りキャラ」になっていたんですよね。お笑いの仕事とは少し違うナビゲーターの仕事が図らずも大きな財産になったんです。
しかも相方の児嶋にとっても予想外の転機になったんです。自分だけがテレビに出て忙しくなった時に「児嶋は何もない」、「児嶋は暇だ」というのがキャラクターになったんです。そこで今のみんなが児嶋をいじるというフォーメーションができあがりました。

『エンタの神様』でブレークした状態のままで行っていたら、今はもう消えてえいると思います。2人ともお笑い芸人としての変なプライドがあったんですが、それをちゃんと捨てられたのが良かった。しっかり自分たちを見つめて、お笑いじゃ敵わないからやれることを必死にやろうと思えたのが、転機につながりました」。

― ネタ番組でブレークしたものの、そこで頭打ちに……。芸人としてのプライドをかなぐり捨てあらゆることに取り組んだ結果、意外なところから道が開けた。キャラが弱いと言われ続けてきたアンジャッシュは図らずも「物知りキャラ」「いじられキャラ」という武器を手に入れることとなった。

■他の芸人さんがやらないことにBETしたら、道が開けてきた

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