2019.3.1
知的な人は、人の行いのすべてを学びに変える
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我れ三人行えば必ず我が師を得。その善き者を択びてこれに従う。その善からざるものにしてこれをあらたむ。(述而第七)
私は三人で行動をともにしたら必ず自分にとっての師を見つける。良い人からはその良いところを見習い、悪いものについては自分がそうならないように反省して直す。私以外はみな先生である。
学びというと堅苦しくなりますが、すべての事象から何かしらの情報を学び取ろうとする人は、物事への観察力、洞察力に優れ、どのような分野においても大きな強みとなります。
自分にとって良い人であれば、その人の良い部分を吸収し自身の向上に役立てられます。一方、自分にとって合わない人や嫌な人がいたとしても、自身が同じことをしないように学ぶことができます。
そういう意味では、どのような人であっても、よい師範となりえることを孔子は説いているのです。
知的な人は、人の本質を見抜く
子曰く、其の以(もち)いる所を視(み)、その由(よ)る所を観、其の安んずる所を察すれば、人焉(いずく)んぞかくさんや、人焉んぞかくさんや。(為政第二)
孔子先生がおっしゃるには、「その人の行動を観察すること。またその人の行動のみでななく、行動の動機を観察すること。またその人の動機のみではなく、目的となるところを観察すれば、その人物が全てわかるというものだ。隠せるものか、隠せるものか。
ビジネスにおいても、日常においても、人の本質を見抜くことは大切です。しかし、人から聞いた噂や印象はもちろんのことですが、実際に会ったとしても、その人の良し悪しがすぐにわかるわけではありません。
かつて近代日本における資本主義の父とよばれた渋沢栄一は、人を見極めるにあたりこの孔子の教えを実践しました。
人物の良し悪しを判断するには、その人の外見に表れた行動の善悪や正邪を観察し、その動機を観察すること。
さらに、その人が何に安心し、どのあたりに満足して暮らしているのかを観察すること。そうすればその人の嘘偽りない性質が明らかになると述べています。