2018.10.19
シャネルと言えば、マリリン・モンローの「寝るときはシャネルのNo.5」という言葉で香水を有名になるなどセレブが今でも愛用し、時代を越えて支持され続けるトップブランド。そんな歴史的ブランドを築き上げたデザイナー、ココ・シャネルの生き方とは?今回は強烈な個性で人々を魅了した彼女の言葉に迫り、今の時代に参考になりそうな「個性のつくり方」を見つけたいと思います。
野心を持ち続けるために「傲慢であれ」
「傲慢さは、わたしの性格のすべての鍵ともなった代わりに独立心となり、または非社交性ともなった。それは同時に、わたしの力や成功の秘密にもなっていった。」
彼女は幼少期を孤児院で過ごしたことで、早くから自由を手に入れるのだと決意をしました。そのために必要だったのは「傲慢さ」。傲慢は悪徳であり、謙虚は美徳。これが一般的な解釈ですが、「謙虚」の裏にはごまかし、楽な道を選ぶ姿勢が潜んでいることもある。彼女は自分をごまかすことを排除して常に前進するために、あえて傲慢である道を選んだのです。
そのため意見の合わない人とは、衝突を繰り返したことも多かったそうですが、誰よりも自分に厳しくある姿は周囲の人々の心を打ったに違いありません。
物に執着せず「お金を使いながら裕福になれ」
「節約しながら貧乏になる人もいれば、お金を使いながら裕福になる人もいる。」
「私は人を判断するのに、お金の使い方で見分けることにしている。」
「私は人を判断するのに、お金の使い方で見分けることにしている。」
彼女は貯蓄に励む人を嫌い、物に執着する姿勢を批判しました。特に、当時は男性が働いたお金で女性が着飾ることが多かった時代。身に付けた宝石を自慢する女性を嫌ったと言い…
「もし宝石が何かの記号であるなら、それは卑しさの、不正の、または老いの記号でしかない。」
という強烈なメッセージも遺しています。夫の富のもとでしか自分の価値を認められない女性を批判したものですが、これは性別・時代関係なく重要な考え方なのではないでしょうか?そして、彼女自身が最もお金を費やしたことのひとつですが、それは「新たな才能への投資」でした。彼女は生涯を通じてバレエをはじめ多くの芸術に巨額の投資したと言われますが、支援の条件に「誰にも言わない事」と「見返りはいらない事」を盛り込んだとも言います。純粋に才能が開花する場に居合わせることに喜びを感じる彼女の生き方は尊敬せざるを得ません。
「コピーされることを喜びなさい」
1926年。彼女は43歳のときにアメリカ版『ヴォーグ』誌で革命的なドレスを発表します。「リトルブラックドレス」と名付けられた、そのドレスが衝撃を与えた理由は2点。1点は、喪服の色でしかなかった「黒」をモードな色とみなしたこと。
そしてもう1点は、誰にでも着られるシンプルなデザインだったことです。しかし、この「誰にでも着られるデザイン」は、裏を返せばコピー可能だということ。これが論争を生んでしまいます。それは、他のデザイナーは意匠権を守ろうと躍起になっていた当時において、彼女は…
「あたしがパリに漂い、散らばっているアイディアにインスピレーションを得たように、他の人が私のアイディアにインスピレーションを受けることもあるだろう。」
「モードは死ななければいけない。それも、出来るだけ早く。そうでなければビジネスにならない。」
「モードは死ななければいけない。それも、出来るだけ早く。そうでなければビジネスにならない。」
こんな言葉を遺しています。著作権を軽視するかのようにも聞こえますが、彼女はうつろいやすく死に絶えやすくなければモード産業は成り立たないと考えていたのです。もちろん、情報が増えてコピーもし易くなってしまった現代にこの考えをそっくり持ち込むことはご法度かもしれませんが、「良いものはコピーされるもの」。それを超えるものを作り続ける努力によってのみ、強烈な個性が確立されるのかもしれません。
自分のスタイルを確立する「嫌悪の精神を持て」
「わたしは確かな“嫌悪の精神”を持っている」
「わたしは何よりも、嫌いなものを作らない」
「わたしは何よりも、嫌いなものを作らない」
本書の中で個人的に最も印象に残った言葉がコチラ。彼女は自分の才能を使って嫌いなものを一掃することで成功をつかみました。街がミニスカートであふれても、それに迎合してミニスカートを作ることはありませんでした。正しいと思った事を主張し続けることでシャネルのスタイルは支持され続けてきたのです。
彼女が生きた時代は今よりも男性優位の社会だったはず。そんな社会において誰よりも「男前な金言」を発したココ・シャネルをリスペクト!印象深い言葉にたくさん触れることができました。