人生なんて綱渡りみたいなもんだよ。
俺なんて10mくらいのとこ渡っているだけだったけど、
瀧なんて、ずっと上を渡っていたんだよ。
すげなあ、って思っていただけどよ。
と人生の生き方を綱渡りに例えていました。
玉さんも、ショックだったようでその後に続く言葉も出なかったようです。
多分高いところを綱渡りしていれば落ちた時のケガも大きいということを言いたかったのかもしれません?
人生は綱渡り
実は玉さんのコメントを聴いて、僕も人生は綱渡りみたいなものだな、と感じていたのです。
微妙にバランス取りながら、フラフラしながらも落ちなければいいのです。
そしてこれは人生の最期まで続くのです。
平凡なサラリーマンとして60年の人生を送ってきた僕でも、綱渡りしてきました。
よく定年まで渡り終えたな、と思います。
結果的に三人の子供たちを私立大学に行かせることになり、経済的によく持ったなと思います。
途中、マンションを購入して15年住みながら、月々の支払いができなくなり、手放した苦い経験もしました。
そして、取り合えずフラフラしながらも定年と言う中継所にたどり着きました。
ここで少し大勢を整えて、再び綱渡りを始めます。
でも、今度の綱渡りは、いままでほど高くないようです。
人生は、嫌なこと、辛いこと、面倒なこと8割
僕は、生きて行くことは、嫌なこと、辛いこと、面倒なことが8割あると思っています。
つまりいいことは、僅かに2割もあればもうけものです。
だからいいことがあると有難い、つまり有ることが難しいと感じるのです。
そんな思いで生活してきたので、いいことがなくてもその内なんとかなるさ、と思いながら生きて来られました。
現在勤めている会社には、37年間勤務してきました。
途中、多くの同僚が文句を言って辞めて行きましたが、ここが嫌なら他に行っても同じ、と仕事を続けてきました。
綱渡りを続けていくだけ
定年後に関する書籍や記事などは、やたら自由で素晴らしい第二の人生があるように書いてあるものと、経済的に何千万円ないと老後破産するとリスクを煽るものと二通りあるように思います。
多分、どちらもその可能性はあるのでしょう。
定年後や老後は、それまでの生き方に較べ、ずっと個人差が大きくなるものです。
なぜなら人生には終わりがあり、それをコントロールできないからです。
つまり、終わるまで綱渡りを続けながら前に進んでいくだけです。
最後に
天皇陛下が皇后陛下に60年という年月を共に連れ添ってこられたことに感謝の言葉を捧げられていました。そして、その60年を旅と言う言葉で表現されていました。
まさに人生は旅です。そして綱渡りです。
いろんな例えが出来ますが、一つ言えることはハラハラ、ドキドキしながら前に進んでいくだけです。