2017年12月20日 更新

〈遠山正道〉いっちょう、皆でやりきろう。

食べるスープの専門店『Soup Stock Tokyo』、卓越した見立てと世界観のあるセレクトリサイクルショップ『PASS THE BATON』、世界一キュートなネクタイ屋さん『giraffe』といった、誰も思いつかなかったけれど多くの人が「これを望んでいた!」という気持ちになる事業を展開する、 株式会社スマイルズ代表の遠山正道さん。その類まれな感性で時代の流れを読み、それまでになかった価値を生みだすオリジナルのビジネスモデルは、人々に新鮮な驚きを与え、時間をかけながらも着実に受け入れられてきました。

2016.4.11
時代が欲している「価値」を創り出すビジネスは、どうすれば創り出せるのでしょうか。2016年2月3日に開催された、起業を志す人へ向けた講演の内容をダイジェストでお届けします。

■サラリーマン10年。「このまま定年を迎えたら、自分は満足しないだろう」とハッキリ感じていた

1985年に三菱商事に入社しました。それから10年経った頃、優秀な部長に率いられた、社内でも“面白い”部門にいました。私はその中でも最も若かったのですが、ある日ふと、その部門にいる人たちを見ながら「もし部長がいなくなったら皆はどうするのだろう」と思ったのです。そしてすぐに気づいたんです。「皆は」ではない。「私は」どうするのだろう、と。このまま定年を迎えたら自分は満足しないだろうな、ということはすでに明確でした。

そんな時、たまたまお酒を酌み交わしていたプロデューサーに「将来やりたいことあるの?」と聞かれたんです。学生時代にイラストを描いていたこともあり「絵の個展とかやりたいかな」と答えたら、即座に「いつやるの?」と聞かれました。「いやいや、いつって……夢ですから」と返したらまた「いつやるの?」と。

当時、私は32歳でした。ですから「じゃあ、35歳にしようかな、いや頑張って34歳までにやろうかな」などと答えたら、「遠山さん、年齢は、四捨五入ではなく三捨四入だよ」と言われたんですね。つまり、30代は33歳まで、40代は43歳までだよ、と。それを聞いて、慌てて1年後のギャラリーを予約しました。

実は、学生時代にイラストは描いたことはあっても、それまできちんとした「絵」は、一枚も描いたことがなかった。それでもやることにしたのです。

今思うと、もしかしたらその方は思いつきで言ったのかもしれません。そうしないといつまで経ってもやらないだろうと、背中を押してくださったのかもしれませんね。

■チンケな夢には付き合っていられない

それから1年間で、70点の作品を描き上げました。1週間で1枚以上のペースです。商社マンとして働きながらなので、朝4時に起きて出社前に描いたり、金曜日に早く帰ってきて描いたり。大変だけれども、絵を描くのは好きで、楽しかった。そんなことをして、70点を描き上げました。

いよいよ個展オープンの前夜、スタイリストやデザイナーなど、様々な仕事をしている仲間たちが会場に集まりました。5メートルほどの吹き抜けの空間に大きな絵が4つ。その配置を見て、スタイリストの友人が「入れ替えた方がいい」といったので、皆で30分くらいかけて櫓を組んで配置を変え、ライティングなども調整し、また30分かけて櫓を解いて。

そうしたら、今度は絵に貼っている数字の文字の大きさを変更した方がよいね、となり、70点すべてを貼り直し。夜中の2時、会場の照明が落ちる時間までみんなでできることをやったのです。そうやってみんなが手伝ってくれて、おかげさまで作品はすべて売れました。手伝ってくれたスタイリストに「ありがとう。これで、俺の夢が実現した」と感謝したら、彼に言われたんです。「いやいや、そんなチンケな夢には付き合っていられない。これは夢の実現なんかじゃなくて、ここからスタートだろ?」と。

見渡してみたら私だけサラリーマン。「趣味で絵を描いている人」です。手伝ってくれた仲間は、スタイリストにせよ、デザイナーにせよ、多くがプロ。プロでなくても、様々な人が一生懸命手伝ってくれていた。みんなは「サラリーマンの趣味」に付き合ったつもりなんて、なかったのです。

■何をやるかは未定だけれど、「成功すること」を決めた

私は憧れのステージに上がって、スポットライトを浴びて、満員のお客様が見えて、それだけで「やったー!夢が実現した!」と喜んでいたようなもの。しかし、そこはゴールではありませんでした。ステージに上がったら演じて、評価されて、次に何をどうするか考えて、再びステージに上がって、を繰り返していく。そのスタート地点だったのです。

それで、お世話になった160人に手紙を書きました。「おかげさまで個展は成功しました」という感謝の言葉。そして、「皆さんに報いるために、成功することを決めました。何をやるかは、未定です」と。

私の個展に、みんなが手伝ってくれたことは、いわば一票を投じてくれたということ。そのことによって、私は動くことを決めた、と伝えました。

三菱商事で頑張っても、社長どころか部長にもなれるかも怪しい。それでは、アーティストになれるかというと、それも難しい。しかし、お互いの良いところを組み合わせたら……?

働きながら一年間で70枚描くために、寝る時間を削り、一生懸命取り組みました。全く苦ではなく、むしろ楽しい経験でした。絵が出来ると嬉しくて嬉しくて、バンザイしたり、遠くから近くから見たり、小躍りしたり。

そういう個人の情熱と、企業が有している信用力やネットワークなど、お互いの良いところを組み合わせたら、「一般のサラリーマンでもなくアーティストでもない何か」を提案できるのではないかと思いました。個人性と企業性を兼ね備えたものを。

■「物語」の効用

その後、会社勤めを続ける中で「リテールビジネスをやりたい」と思っていましたが、その機会がなく、あれこれと画策しているうちにKFCへ出向することが叶いました。そこでの日々の業務のなかで思いを巡らしているうち、女性がスープを口にしてほっとしているイメージが浮かびました。素敵なものと出会った!と感じたのを覚えています。3ヵ月かけて「スープのある1日」という企画書を作成しました。

「スープのある1日」は、企画書といっても過去形で記述された「物語」です。実は、三菱商事時代にどうしても実現したいことがあり、ウィットの効いた物語に仕立てた企画書を流布させて成功した、という体験がありました。わかりやすい物語にすれば、知識や理解、意欲もばらばらな多くの人たちにも伝えられます。また、すべてが決まっていないと言葉に起こせない映画の脚本を一本描くようなもので、物語を書くという行為をしながら、同時に、すべてを一貫性を持って決めていくことができます。どんな店舗か、どんな食器か、どんなロゴか。実際、それらはほぼ企画書の通りに実現しました。プレゼンをする時には私はすでに「完全にやる気」になっていました。

「物語」によって“スープのある生活”という新たな価値観を生み出した
この企画書で書いたのは、「共感」です。

スープストックは、スープを売っていますが、「スープ屋」ではありません。スープというものに共感した仲間たちが、「いいね」など言いながら集う。そこにお客様との共感が生まれたら、きっとスープを超えて、他のものに広がっていくだろう、と。企画書の後半では、物販などスープ以外の広がりの可能性について書きました。

そうやって、『Soup Stock Tokyo』というお店ができました。
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STAGE編集部 STAGE編集部
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