人生の第二幕。女優としての人生がスタート。
STAGE編集部:まず立ちはだかった壁とは?
草刈:専門的な話になりますけど、バレリーナの身体って声を出すための身体じゃないんです。腹筋もガチッと固まっていて、そこまで筋肉があると逆に声が響かない。
首も病院の先生に診てもらったら、「こんな首筋は見たことがありません。剣の達人の首みたいだ。」と言われてしまい…逆に自律神経を崩してしまうのではないかと心配されました。
そこで根本から見直して、声を出す身体にシフトしていく必要があったのですが、35年もかけて作りあげたものだからそうそう壊れないんですね。レッスン、トレーニング、メンテナンス、治療と、いろいろ試行錯誤をしながら、10年ぐらいかかってやっと変わってきました。だから今でも一番お金を使っているのはそういったメンテナンスや発声などのレッスン費だと思います。
STAGE編集部:それはまるで、自分の人生を賭ける投資家のよう
草刈:そうかもしれませんね。でも、自分としては「投資」というよりも「実験」に近い感覚なんです。というのも、実際にレッスンを受けてみないと何が得られるか分からないことも多くて。結果的に新しい発想が得られることもあるんですが、最初からそこを見込んでやっているわけではないんです。投資というのは、お金を増やすことを目的としたものなのだと思いますが、レッスンは具体的に自分を磨いていく時間ですからね。
稽古というのは発想を得る場でもあります。表現する人にとっては一番大事な場です。新たな人のレッスンを受けるような場合、その時間が有効になるのかどうかもわからないところがありますが、良いと思ったら何でもやってみることにしています。何が得られるかわからないから。自分の直感にお金をかけられるかどうかも、大事なことだと思いますね。でも、例えハズレがあっても、文句は言いません(笑)
STAGE編集部:35年間かけて作り上げたものを壊す。それだけでも勇気がいる事、しかしさらに試行錯誤を常に繰り返す。
草刈:試行錯誤の結果得られるものは、ある意味「到達」なんですね。どんなに小さな事でも到達すれば、じゃあ次は別の場所に到達したい。新たな場所を知った時点で「次へ!」という循環。その繰り返しです。
STAGE編集部:そんな草刈さんについて、映画『Shall Weダンス?』の監督でもあり夫の周防行正氏はどのように見ているのか。
草刈:旦那さんには、本当に「燃費の悪い女」と言われています(笑)。でも、労力とお金をかけた分は後から必ず返ってきます。私はそれを身を持って体験しているので、あまり怖がってはいません。
能力を広げるというのは簡単なことではないけれど、その試みが新たな自分を引き出すことになり、それが新たな立場の獲得につながることもある。受け身に仕事をしていてはこういう発想にはならないかもしれないけれど、自分の能力を伸ばすために何に挑戦するか? 思うような仕事がないのはなぜか? どうやって自分でそれを生み出すか? そういう問いの答えを見つけようとするのは大事なことだと思いますね。
成長した「次のステージ」で成功をつかむために必要なものとは?
草刈:やっぱり続けられる人というの「軸」があるのだと思います。
「軸」とは何か? と聞かれて言葉にするのは難しいですけど、「こうしたい」「こうありたい」という気持ちなんでしょうかね。
まずは挑戦してみようという選択を優先すること。それは年とともにどんどんできなくなってしまうものですけど、私自身もまだまだ挑戦していく自分でありたいと思っています。踊りをやめて芝居に取り組んでいますが、やりたいと思うこと、やれたらいいと思うことは、常にはっきりと持つようにしています。
STAGE編集部:そんな草刈さんの「未来」とは?
草刈:「まだ」50代ですけど、「もう」50代なので。今のうちにやろうと思っていることにトライしたいですね。そこで50代なりの土台を作れないと、60代でやりたいことができないと思います。すべては積み重ねなので、どう積み重ねていくかということは、前よりも的を絞って考えるようになりました。
もう踊りをやめて10年近くになるんですけど、やっぱり10年ぐらいかからないと芝居のことも分かってこないんです。この10年試行錯誤してきたことで、自分に何ができるのか、何を目指せるかがようやく見えてきた気がします。
草刈さんにとってお金とは?
草刈:「お金とは、エネルギーである」
STAGE編集部:その心は?
草刈:これは聞いた話なのですが、「お金はエネルギーだから循環する。使わないと返ってこない。」という考え方はすごく納得して受け入れられました。若い時は着たい洋服を着たいだけ着るような無駄に思えるお金の使い方も自分の範囲内でしてきました。でもそこで培った感覚というのは、今の仕事に生きていると思っています。
様々な役で色んなものを着ます。常に綺麗に見えなきゃ嫌だというのはダメだと思っているのですが、全く合わないものでもダメなんです。例えて言えば「その洋服、ヘンだけど似合うよね」みたいなことが必要になる役もあるんです。洋服が“似合わない”ということが全面に出るようでは、違和感にしかならない場合があるんですよね。
自分の好みに関わらず、“似合う”“似合わない”が判断できないとダメですね。でも、そういう嗅覚はもしかしたら「無駄なもの」から身に着けたかもしれないんです。使ったお金がどのような形で身になっているかはわからないですよね。でもその分は必ず自分の一部になっているような気がしています。
「お金とは、エネルギーである(草刈民代)」