2018.12.4
「ワレ到着セズ」の意味
『深夜特急』は筆者・沢木耕太郎が「ワレ到着セズ」と日本にいる仲間にロンドンから電報を打って終わります。
そもそも沢木耕太郎は旅の目標を「インドのデリーからフランスのロンドンまで乗合バスで行き、電報でその旨を伝える」と設定していました。
ゴール地点のロンドンにたどり着いたはずの沢木耕太郎が「ワレ到着セズ」と述べたわけをまさに旅の道すがらにあった私は立ち止まり考えざるを得ませんでした。
自分なりの答えは以下です。
「もはや人生と同義となった旅の目的は『ロンドンに到着する』ということではなくなっていた。まだ旅から何も得ることができていない。」
「到着する」ということは旅から何かを得るということ。その「何か」はすでにどこかに到着するという「形」だけのものでは満たされなくなっていたのです。
自分の旅の目的を考え直した
それまで私は旅の目的を、
● 英語を喋れるようになること
● 外国を見て回ること
● 外国を見て回ること
の2つに設定していました。
一方で、この目標設定にどこかしら「綺麗事ではないか」という薄っぺらさを感じているところがありました。
『深夜特急』を読んでから、世界一周も日本縦断も何年間海外に滞在していたという事実も全て本人が心から望んでいることでなければ薄っぺらではないかという気持ちが心の中に湧き出てきました。
そして私は『深夜特急』のラストシーンをきっかけに自らの旅の目的を改めて考え始めました。
他人に理解されなくてもいい、むしろ自分という当事者だけが納得できる目的を達成して、心から「到着した」と思えるようになっていたい。そう願うようになりました。
いまだに私は旅を続けています。目標にふさわしい何かは見つけられていません。しかし無理に目指すべき何かを作ることの軽薄さを知ってしまった今、私は目標を簡単に設定することはできないのです。
生き方にも通ずる「ワレ到着セズ」
「お金を貯める」
「大手企業に勤める」
「結婚する」
「子供を持つ」
「家を買う」
「大手企業に勤める」
「結婚する」
「子供を持つ」
「家を買う」
これだけのことを成し遂げているのに未だに自身の人生に納得をすることができない人が多いのはなぜでしょうか。それは自分の本当の目標ややりたいことではないからです。
『深夜特急』で言えば「ロンドンに到着する」ということと同じ、形だけの目標なのです。
しかしお金や社会的地位に捉われ続けている人は多く、そのために幸福度のアップダウンを繰り返す悩ましい人生が続いています。
お金があれば幸せであるということを念頭に生きている人は多いですが、お金は心から望んでいることではなく、あるべきだと思い込まされている一種の強迫観念かもしれません。それは大学も大手企業も家も結婚も子供もあてはまるのではないでしょうか。
何をすれば「ワレ到着セリ」と言えるのか、その問いを自らに課し続けることが人生の目標を見つけるための唯一の手段なのではないでしょうか。
そして「何をするか」という表面的な目標ではなく「自分が何を得るのか」という心的な部分に焦点を当てていくべきだと考えます。
まとめ
教師を辞めてレールから外れ、海外でふらふらと生活をしている。側から見るとこのように見えているはずです。
しかし予定調和の人生から外れた瞬間から、自分の人生を捉え始めることができるようになりました。何をすべきかが見え始めてきました。私はこれからも自身の旅、人生の目標を問い続けます。