掃除は命への礼儀
ふと出会った、言葉。決して大仰なものでも、大きな声で発されたものでもないけれど、本のなかで、あるいは仕事の場で、またあるときは思いがけない会話から、深くなにかを感じ、強い印象が残ることがあります。中略
<158ページより引用>
「掃除は命への礼儀」陶仏を制作するアーティスト、二見光宇馬さんの言葉です。
エッセイストである著者は、女性誌編集者を経てイタリア・ミラノに在住。帰国後に文筆活動をはじめたという経歴を持っています。ファッション題材を中心とした美しい文章の数々は、まさに著者ならではといえるでしょう。
六十代を迎えた著者は、生きていく上でいつでも返っていくことができて、心の拠り所としている29の美しい物事を本著で紹介しています。
たとえばアクセサリーであったり、考え方そのものであったり。その中の一つとして、陶仏を制作するアーティストである二見氏が語ったという言葉があります。
「死んだ後に身の回りの物がそのひとを語る。だから毎日が死ぬ準備というか、その瞬間を整えておくことはとても大事だと思います」。
掃除と死が結びつけられた話を聴くのは、生まれて初めてであったと語る著者。「掃除は命に対する礼儀」、その言葉が忘れられなかったため、自身も雑巾がけをするようになったといいます。水拭きをすることで感じた瞑想に近い清々しさを通して、清めるということはこういう気持ちよさを作り出すことなのかと実感。
ふと耳にした人の言葉を、できる範囲でライフスタイルに取り込んでいくということは、豊かに生きる知恵を得るということにつながるようです。
六十歳になると華やかで自由な時間が待っている
そして、だからこそ、仕事や日々の雑事に追われながらも、家族をはじめとする他者のために生きる四十代から五十代が大切な要なのです。私のその時期は、子育てが終わり、一息つく暇もなく介護に突入、なかなか過酷でした。しかし、それを乗り切って還暦を迎えてみると、なんだか気持ちがこざっぱりしているのです。
<168ページより引用>
四十代の頃の著者は、平均睡眠時間3時間で、月40本近い締め切り原稿をこなしていたのだといいます。
しかし、結局はからだも心も疲れ果てて壊してしまったのだとか。「ひとりモーレツ社員」であったと当時を振り返る著者は、それ以降も無理をし続けてしまったようです。
それから二十年が経った今、四十歳から先の人生のすべての土台は、この時期に作られていたと感じているといいます。能力や秘めている力を知ると同時に限界も知る時期。それを経て、それまでの人生にはなかった「諦める」ということを知るに至っていく。
六十代になった著者は、「六十歳になったら想像もつかない華やかで自由な時間が待っている!」と語っています。家族や暮らしの環境が変わり、自分自身の内面も変わっていく。いろいろなことが手離れして、身が軽くなる。
だからこそ、四十代から五十代が大切な要であると著者はいいます。
六十歳になってから先、二、三十年あるとしても、これまでの歳月は人生を俯瞰して見ることを可能にする時間になるのだと。やがて振り返ったときに、そんな風に思える時間を精いっぱい過ごしたいものです。
歳を重ねて似合うようになるものもある
五十歳を過ぎて、ファッションアイテムに新しく和籠が加わった著者。籠は昔から好きだったけれど、和籠は渋すぎて、長い間どんな風に持てば良いのかわからなかったのだとか。
また、美しい翡翠は、三十代では似合わなかったけれど、六十代を迎えてやっと少しだけ距離が縮まったのだといいます。頬や首が痩せて陰影が出ることで似合うようになっていく持ち物やジュエリーがあるということ。おしゃれそのものだけではなく、人生は実に奥深いものです。
心のよりどころとなる大切なモノや事を、長い年月をかけて自分なりにじっくりと作っていきたいものです。
タイトル: これからの私をつくる29の美しいこと
著者:光野 桃
発行:講談社
定価: 1,296円(税込)
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