僕のサラリーマン人生では、40代半ばから50代半ばの約10年間がもっとも多忙で、中でも、3年半の大阪単身赴任から戻った50代前半の約3年ほどが特にハードでした。
今思うとよく無事に乗り切れたなと思うほどです。
当時は、朝7時に出勤して夜も10時ころまで残業する生活が続いていました。
それより前の30代の頃は、まだそれほどではなく、帰宅後幼かった子供たちと遊ぶ時間が残っていました。
当時部屋にクッション製のすべり台があって子供たちはよくそれで遊んでしました。
まだ3歳と1歳の幼かった長男と長女は、キャッキャ言いながら、何度もすべり台を滑っていました。それを見て、僕も楽しくて腹から笑っていました。
そしてふと思いました。
幸福ってこういうことなのか、と。
成功したいのか、幸せになりたいのか
アメリカのフォークソングのレジェンドにウディ・ガスリー(1912-1967)がいます。代表作には「我が祖国」(This land is your land)があります。
ボブ・ディランも多大な影響を受けたシンガーソングライターです。
高校生の時、ウディ・ガスリーの生涯を知りました。
彼は、アメリカの体制批判をフォークソングを歌って大衆に伝える活動をしていました。
しかし家庭生活は3度の結婚を繰り返したり、家庭を顧みない生活をしていました。
僕はその時思いました。
ウディ・ガスリーは後世に功績を残したが、妻や子供たちは悲惨目に遭っていた。
自分のやりたいことを貫くのか、それとも家族を大事にする人生を選択するのか。
人生にとってどちらが大切なのだろうか。
僕は、当時5年生の国立工業高専に通学していました。
そして3年で辞めて東京の大学に行くのか、このまま高専に留まり卒業して地元で就職するのか、と迷っていました。
親はきっと後者を喜ぶだろうなと思いながら。
結局、僕は誰にも相談せず1年間浪人して東京の大学に進学しました。
親の望む人生ではなく、自分のやりたいことをしたいと思ったのです。
成功を追い求めた末に気付いたもの
僕は、大学に入学するために上京し、漠然とした夢を追いかけ始めました。就職しても追い続けていました。
僕にとっての成功は、お金でした。
不自由なく使えるお金を得ることでした。
そして美人の妻を娶り、豪奢な家に住むことでした。
気が付くと30歳になっていました。
時はバブル経済のころ。日本全体が浮かれていました。
僕も浮かれていました。
そして不動産を買いました。
結局、それが重荷となり浮かれていた自分を呪うようになりました。
夢を追いかけるどころか、30代になっても結婚も出来ず、寂しい人生を送るのだろうかと不安になってきました。
そんな時今の妻と出会い、出会ってから半年後には結婚し、1年後には親にもなっていました。
家族のために真面目に働くことにしました。
そして幼い子供たちの楽しそうな姿を見て、幸福について考えるようになりました。
幸せそうな人と本当に幸せな人
豪邸に住み、美人の奥さんがいて、高級スポーツカーを乗り回す人と6畳一間に家族4人が肩を寄せあって暮らす人のどちらが幸せなのだろうか?
幸せそうなのは前者です。
しかし、前者が夫婦関係は冷めきって、お互い好き勝手をし、子供にも無関心、一方後者は、笑いの絶えない家族だとしたら、どちらが幸せなのでしょうか?
終わりよければ全てよし、という考え方があります。
僕にも多少そんな考え方がありました。でも最近は少し変わってきています。
終わりよければ全てよしとは、終わりさえよければいいのか?ということでもあります。
高齢者の孤独死は傍から見ると悲惨なものですが、果たして本人は不幸だったのでしょうか?
最後の悲惨さだけでその人の長い人生を不幸だったと決めつけられないと思います。
最後に
人生100年とか、老後2,000万円問題とか言われますが、何かおかしいと思います。
どちらも長く生きることを前提としています。
実際、統計的には日本の平均寿命は、世界の中でもトップクラスです。
でも長く生きることが幸せかどうかはわかりません。
また、人生何十年も生きてきた人ならわかっていると思います。
それは人生は設計通りにはいかない、ということをです。
今の僕は、日々精一杯生きるように生活しています。
そして自分の仕事ややりたいことを楽しむことにしています。
蝶々を追いかけていたら高山に来てしまった、みたいに、日々の生活を続けていたら周りの景色が変わっていたみたいな、残りの人生が歩めたらいいなと思っています。