料理との運命的な“再会”
それは赤坂の裏通りに隠れ家のようにひっそりとあった。扉を開け、階段を登ると、目の前に表れる幻想的な空間。10席しかない小さなダイニングの中央で、「TAKAZAWA」と刻印された大きなアイランドキッチンが圧倒的な存在感を醸し出している。ここが、新進気鋭の料理人として世界から注目を浴びる高澤のSTAGE(舞台)だ。
高澤の経歴はユニークだ。料理人の家庭に生まれ、周りがファミコンで遊んでいるような小さい頃からお店の手伝いに明け暮れた。もちろん、アルバイト代などもらえるわけもない。文字通り「手伝い」をしながら親の背中を見て「こんなに大変な商売は嫌だな」と思っていたという。
しかし、高校卒業後の進路を考えたときに、周りと同じように自分探しのために大学へ行くのは避けたかった。そこで、ふらりと行ってみた料理学校の体験入学で魅力的な先生と出会い、入学を決める。これが、高澤と料理との運命的な“再会”となった。
葛藤が「TAKAZAWA」の世界観を生んだ
卒業後は、手当たり次第に様々なジャンルの料理と職場を経験した。老舗のフレンチ、チェーン展開しているダイニング、コアなワインバー。そして、転機となったのが、ウェディングのバンケットだ。
ウェディングというのは、お客様にとって一生に1回だ。ゆえに、すべての想いをその1回にぶつけてくる。しかし、ゲストは時に100人を超える。いくら料理人としての全力を尽くしたとしても、100人のゲストに完璧に応えることは現実的に不可能だ。この矛盾に対する出口の見えない葛藤が、独立への決心とつながった。
高澤は言う。「料理人として経験を積む中で、自分の好きなもの、こだわりたいものが、どんどん蓄積されていったんです。やっぱりこうじゃない、やっぱりこっちのほうがいい、って。それを具現化したいと思ったときに、少ない席数で手をつくしておもてなしをするという今の世界観が見えてきたんです」。
ラグジュアリーな“非日常”を売る
料理だけでなく、人と人との関わりも大事にしている。10席という少ない席数だからこそ成し得る、お客様同士が濃密に会話し、食事を楽しめる時間。それを演出する、妻でもあるマダムの接客にも絶対的な信頼を寄せる。そして、高澤自身が会話に飛び入り参加することも日常だ。「この距離感が、心地よく楽しんでもらうのに非常にいいんです。ラグジュアリーな“非日常”を売るのが、TAKAZAWAですから」。
その空間の心地よさに、これまで数々の世界の大富豪や美食家がTAKAZAWAの虜になってきた。「お客様が来店した瞬間に、その人の雰囲気とか、オーラとか、身なりとかで、ああ、この人は、こんな感じだなっていうのを経験値で判断できます。そこから接客に入るので、とてもやりやすいですね」。そう、サラリと言ってのけた。
高澤の五感は類まれな鋭さを放つ。奇遇にも、インタビュー中にそれを証明する出来事があった。質問に答えながらも、その一瞬の間をぬって隣のキッチンで仕込みをしているスタッフに「放ったらかしにするな」「もう30秒たっているぞ」と叱咤する。音を聞くだけで誰が何の仕込みをし、どのような状況にあるのかが手に取るようにわかるという。
「世界」の洗礼が、「日本」と向きあわせてくれた
高澤の生み出す、最先端でありながらも芸術的な料理は、いまや国際的な料理学会からも注目を浴びるまでになっている。
2007年には世界的権威であるスペインの国際料理学会“Lo mejor de la Gastronomia”から日本代表として招待された。願ってもいないチャンスに、高澤の心は躍った。そして意気揚々と発表に臨んだ高澤を待ち受けていたのは、「世界」の洗礼だった。
「フタを開けてみたら、発表している自分よりも、質問してくる人たちのほうが、日本の料理や文化についての造詣が深かった。『ぬか漬けの成分はなんなんだ』とか、『どういうバクテリアがそういう味に寄与しているんだ』とか……。自分はまだまだだな、これはもっと勉強しないとまずいな、と」。そして、高澤はますます「日本」というテーマに深くはまっていく。
国際学会では、「おいしい」ということを感覚だけで伝えることはできない。高澤の言葉を借りれば、「なんかこうすごくふわっとした脂の肉」と言っても、世界のトップシェフたちを納得させることはできない。「脳細胞と脊髄を破壊することによって、神経の伝達を筋肉に行かせないようにすることで、◯時間は硬直させない状態で肉を保てる」。「何度以下だとたんぱく質がアミノ酸に変わって1週間後にこのうまみが増える」。自分たちの料理が美味しいのだということを伝えるためには、こういった学術的な裏付けが不可欠だという。
一流の人しか味わえない蜜を吸いたくて
そこに必要なのは「勉強」だ。事実、料理の分野にとどまらず、高澤はとても勉強熱心だ。
英語も堪能だが、その裏にももちろん「勉強」がある。高校生の頃から、定期的に語学学校に通っており、いまもまだ続けているという。英語だけでなく、スペイン語も話せる。「世界がすごく広がりますし、語学は必須ですね」。
料理人としての姿からは想像できないかもしれないが、資産運用をはじめとする金融の勉強にも取り組んでいる。
その理由を尋ねると、高澤はこう答えた。「世界の美食家に来てもらって、ラグジュアリーな空間を提供しているのに、自分は街のコックさん程度の収入しかない、というのは求めていなかった。どうせやるなら、少し華やかな、本当に一流の人しか味わえない蜜を吸いたい、と思っていたんです」。
さらに高澤は続ける。「それに、僕は、料理人という仕事は、アスリートと同じだと思っているんです。日々、火を使ったり、ナイフを使ったりするのでケガもつきものですし、食べたり飲んだりして、体を壊すのもつきものです。でも、僕がお店に立てなくなったら経営が続けられるのかといったら、できないわけですよね。料理人という道が閉ざされたときも何らかのかたちで家族を食べさせていきたいという想いは常にある。だから、料理人としてのスキルを磨く一方で、資産運用の勉強をするんです」。料理人としての「攻め」。そしてひとりの人間としての「守り」。絶妙なバランス感覚だ。
高澤にとって、お金とは「安心」だという。「もうだめだと思ったときに、料理人としての収入以外に収入があるということの安心感は大きいですね。お金って、使うか使わないかは別にして、自分のそばにあるとどこか心に余裕が持てるものだと思うんです。お金が足りないと、貯めたり、手元にたくさん置きたいと思うから、すごく焦っちゃったり、必要以上に頑張りすぎたりしますよね。でも、少しあるとわかるとペースダウンできるし、安心することで正確なジャッジができるのかなと」。
語学に金融。高澤が「勉強」する対象は幅広いが、それらはすべて、料理人として世界を舞台にしていくための道につながっているのかもしれない。
自らの「労力」という「価値」
今となっては想像しにくいが、はじめはお店を高円寺か初台でオープンすることを考えていたという。しかし、結果的に赤坂になった。もし、「TAKAZAWA」が高円寺や初台にあったら、今の立ち位置での高澤は存在しなかったに違いない。そこには、オーナーとしての確固たる経営戦略があったのだろうか。
こう問うと、意外な答えが返ってきた。「当時は若かったので今のような経験値もなかった。経営戦略というよりは、運とか、感性みたいなものだったのかなと思います」。
しかし、すべて運や感性に任せていたわけではない。当然だが、そこには創意工夫の積み重ねがあった。例えば、節約の工夫。食材も、とにかくよいものをという一辺倒ではなく、自分で築地に見に行き、「値段に見合っているのか」「無駄にせず使い切れるのか」という観点から良し悪しを判断していたという。
自ら労力をかけるということで「価値」を高める。これが大事だと高澤は言う。「『ご馳走する』という言葉は、『走り馳せて自分で集めていく』という意味を持っている。このことに値段以上の「価値」があるものだと僕は思っているので、そこを大事にしています」。
2014年10月に放映された『情熱大陸』。このドキュメンタリーの中で、高澤がビルの屋上に畑を持ち、自ら野菜を育て、名古屋コーチンを飼育している姿に驚いた人も少なくないはずだ。「自分で野菜を育てたり、山に採りに行ったりすることは、食材費がタダのように映るかもしれないけれど、実際には交通費も時間もかかる。でも、それがお客さんを喜ばせる何かだったら、僕はそっちをとります」。それが結果として徐々についてくる。そう信じて、高澤は世界を飛び回り、「TAKAZAWA」を経営しながらも、あえて食材の調達に自らの「労力」をかける。
両親にも、すぐにはお金にならなくても、結果は絶対あとからついてくる、あとからついてくると、繰り返し言われていた。だから、はじめは「掛け算でこうなっていくな」なんていう計算も想像もしていなかった。「とりあえず、つぶれなければ、飯を食っていければ、毎日精一杯仕事ができればいいなと思っただけなので」。そんなシンプルな思考が、高澤が自分のイメージする世界観を信じ、没頭する原動力となっているのかもしれない。
料理とは「自由」だ、と高澤は断言する。「多くの家庭では、お母さんがレシピを見て料理しているかもしれないけれど、本当は、こうやれとかこうしろっていう縛られたものは何もない。だから、自分の中で自分の行く道を作れる。自分次第で、自分の世界観が作れる。僕は、職人として、これが何よりの料理の魅力だと思います」。
ジャンルの枠にとらわれな自由な発想で「TAKAZAWA」×「和」を追求していく。その「自由」へのこだわりは、高澤の人生そのものにも間違いなく表れている。
「お金とは、安心。(高澤義明)」