2019.4.3
世界の常識に自分を合わせていく
日本に住んでいると、コスモポリタンとしての感覚を忘れがちです。
コスモポリタンとは、国際人という意味で、一つの国や民族にとらわれず、全世界を自国として考えて生活する人のことを指しています。「人種のるつぼ」と称される多民族都市ニューヨークに生きる人々は、コスモポリタンとして皆が共存しているのだとか。
日本は、昔からの文化や風習のもとに、誰もがほぼ同じような感覚と常識を持って生きています。海外で働きたい、または海外に旅行に行きたいといった考えを持っている人は、コスモポリタンとしての感覚を目指していってほしいと著者はいいます。
たとえば、大雨の日にアメリカ人の友人が自分の家を訪ねてきたとします。雨に濡れてドロドロの靴のまま、室内に入ることもあるでしょう。室内では靴を脱ぐ習慣の日本人から見たら非常識です。ニューヨークには、まったく違う文化や風習が共存していますが、逆にいえば自分の常識が相手の非常識になることもあり得ます。
自国を出たら、自分の常識を世界基準に調整することが必要。自分のものさしだけで世界の常識を測ってはいけないと著者はいいます。
人間として本質的な部分である優しさや思いやりの心はそのままに、柔軟にダイヤルを合わせながら互いの違いを理解していく。どんな人も尊重しながら共存していく感覚は、海外に住む、住まないに関わらず、大事な考え方であるといえそうです。
幸せについて周りと比較しない
「隣の芝生は青い」という言葉が日本にはありますが、同じような意味合いの言葉が英語にもあるようです。
とあるレストランに行った著者は、2つの結婚式の様子をたまたま目にします。
一つは、そのレストランを貸し切ったアットホームな内容。もう一つは隣の建物で開かれていた、まるで映画の中のワンシーンを見るかのような大変ゴージャスな結婚式。同じ時間にまったく異なるタイプのウエディングパーティーが、背中合わせの建物で行われていたということになります。
一つは、そのレストランを貸し切ったアットホームな内容。もう一つは隣の建物で開かれていた、まるで映画の中のワンシーンを見るかのような大変ゴージャスな結婚式。同じ時間にまったく異なるタイプのウエディングパーティーが、背中合わせの建物で行われていたということになります。