2018.7.4
わずか1カ月でやめた高校生活。バレエにすべてを賭けた。
STAGE編集部:人生の第一幕。プロのバレリーナを目指した経緯とは?
草刈:8歳でバレエを習い始めたときから、プロフェッショナルになりたいというイメージがありました。中学生の頃には「普通の学校に行くことにエネルギーを費やすことが将来のバレリーナの道につながるのだろうか?」と学校に行くことに疑問を抱き始めました。私は幼稚園から一貫教育の学校に通っていたのですが、学年が上がるごとに学校のカラーも合わなくなってきて、高校に進学した頃には、精神的にも行き詰まってしまったんです。それを見兼ねた両親がバレエの先生に相談したら、「本気でやるんだったら、私が預かります」と言って下さって。その一言で高校を退学することに決めました。
フィギュアスケートを見ても分かりますが、身体的な技術を身に付けるには訓練していくしかないですし、実力をつけるためには良いコーチとの出会いがないと難しい。でも何よりも、まずは親の理解や真剣さに助けられて来ました。彼らは私の熱心さに引きずられたと言っていますが、私の能力を信じて「バレエ1本に絞ってみたら」と背中を押してくれていなければ、今の私はないと思います。
STAGE編集部:背中を押してくれた両親の決断…
草刈:父は「やるならとことん」というタイプの人なのですが、私に対しても必要な勉強はすべてさせてくれました。「外国だったら国立の学校があるし、親がしなくても国がやってくれる。でも、日本ではそうはいかない」と、環境のこともよく理解していました。そのおかげで私は「恵まれている」と人からは厳しい目で見られることが多く、若いうちは大変なことばかりでしたが、簡単に認められなかったことが良かったと今は思います。
STAGE編集部:そんな中、心に芽生えた思いとは?
草刈:日本ではほとんどのダンサーが、舞台で踊るだけでなく教えながら生計を立てています。欧米では公共の劇場がバレエダンサー、オーケストラ、オペラの合唱、歌手などを雇っているので、ダンサーたちは劇場で働いているということになるのですが、日本にはその環境がありません。バレエ一筋で頑張っていても、毎月十分に給料を出せるバレエ団はほとんどないのが実状なのです。
そんななかで私は「踊っていて何になるのか?」という迷いと、「でも、これしかない」という強い気持ち、常にその中で揺れ動いていました。「いつやめようか?」ということを考えることもたびたびありました。好きでやっていると言っても、それだけで踊っているのはかっこ悪いとも思っていました。その時期は精神的に不安定で怪我も多かったんです。でも、一方では「もっとできるはず」という強い気持ちもあって。いつも混沌としていて本当に辛い時期を過ごしました。
30歳でつかんだチャンス『Shall Weダンス?』への出演
STAGE編集部:人生を変えたのは映画への出演。しかし、バレエの舞台に立ち続けるという「軸」はブレなかった。