必要なときと、欲しいときに人はお金を使う。
このふたつのうち、クリームおにぎりは、どちらかといったら、“欲しい”という気持ちをくすぐったのだと思います。『駅の近くに新しくできたおにぎり屋さん』、『そこで売られている今まで食べたことのないおにぎり』、どうやら口コミで広がりやすい要素を兼ね備えていたようです。
オープン一カ月後、順調に売り上げはどんどん伸びていきました。“死の谷”も経験せずにです。広告も出さなかったので、とても幸運だったと思います。どんな業態のお店であっても、最初はお客さんがゼロの状態から始まるので数カ月~一年までは赤字を覚悟しなくてはいけないという死の谷も想定したのに、蓋をあけてみたら、思ってた以上に利益があがりました。今思えばラッキーだったのですが、当時は、起業コンサルである大谷と元銀行員である僕と才能ある料理人の葉山の力が合わさった結果であり、これが僕らの実力だと、ある意味、当然と受け止めるようになっていました。そして、僕らの次なるステップは、これをどこまでの成功にするのか? その点に移っていきました。
オープン二カ月後には、一日一〇〇個台で推移していた売り上げ個数は、二〇〇個台に達しました。お客さんのリピート率も上がっているのも明らかでした。この頃、僕は毎日お店に立っていたので、笑顔で挨拶してくれるお客さんも増えていって楽しくて仕方ありませんでした。
いつも来てくれるお客さんから見たら、僕は気のいいおにぎり屋の店長だったんでしょうね。まさか、銀行をやめて、一世一代の勝負に出てる男だなんて誰も思いもしなかったでしょう。でも、よく考えたら、そこらへんにあるお店や企業のすべてに誰かの人生がかかっているとしたら、すごいですよね。
いつも来てくれるお客さんから見たら、僕は気のいいおにぎり屋の店長だったんでしょうね。まさか、銀行をやめて、一世一代の勝負に出てる男だなんて誰も思いもしなかったでしょう。でも、よく考えたら、そこらへんにあるお店や企業のすべてに誰かの人生がかかっているとしたら、すごいですよね。
僕と葉山は毎日お店に出て営業していました。仕入れと仕込みは前日の晩に葉山がやってくれていました。おにぎりの製造は葉山が考案してくれたおにぎり製造器(米と具材を型に詰めてぎゅっと押せばおにぎりができ上がる)を使っていたので、朝は、僕とアルバイトのふたりで回るようになっていました。
ただ大谷だけは、自分の本業をまだ辞めていませんでした。「コンサルの肩書きを持っているからできることもあるんだ。だから、しばらくの間はすまんな」そう言って、店のマネージメントは僕と葉山に任せて、週に三回程度、お店をのぞきに来るくらいでした。もちろん、忙しい中、時間を割いて無理して来てくれているのはわかっていましたが、それは少し不満でした。
ただ、うまくいっている間は、大谷の言う通りかな? と思って特に大谷を責めるようなことは言いませんでした。それは、大谷がその間の給料を辞退していたからかもしれません。
ただ、うまくいっている間は、大谷の言う通りかな? と思って特に大谷を責めるようなことは言いませんでした。それは、大谷がその間の給料を辞退していたからかもしれません。
第23話へ続く
(毎週金曜、7時更新)
via amzn.asia
泉 正人
ファイナンシャルアカデミーグループ代表・一般社団法人金融学習協会理事長/日本初の商標登録サイトを立ち上げた後、自らの経験から金融経済教育の必要性を感じ、2002年にファイナンシャルアカデミーを創立、代表に就任。身近な生活のお金から、会計、経済、資産運用に至るまで、独自の体系的なカリキュラムを構築。東京・大阪・ニューヨークの3つの学校運営を行い、「お金の教養」を伝えることを通じ、より多くの人に真に豊かでゆとりのある人生を送ってもらうための金融経済教育の定着をめざしている。『お金の教養』(大和書房)、『仕組み仕事術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など、著書は30冊累計130万部を超え、韓国、台湾、中国で翻訳版も発売されている。一般社団法人金融学習協会理事長。