その時に自分が何をしたいとかいうことより、どうやったらちゃんとお金を稼いで家族のためになるかを考えたんです。それで大学に行きながら、並行してもう一度SKA SKA CLUBでちゃんとやり切ろうと思って、メンバーに声かけてもう一枚アルバムを作りました。メンバーで大変な思いをして作って、これをどうにかちゃんと宣伝しようと、余計なことを考えなくなって目の前のことに集中するしかないと思えたのはこの時期でしたね。
あと、その大変な時期に、妻がかけてくれる言葉も大きかったですね。「やるぞ!やれるぞ!!」みたいな(笑)。やっぱり僕、落ち込みがちだったんですよ。妻はラジオDJでいろんなミュージシャンを見ているし、同業異種というか、ある程度気持ちも分かっているようなところもあったので、本当にどうしようもなくなったら2人で会社でも作ろうと。メールアドレスは「yaruzo yareruzo(やるぞ やれるぞ)@~」にしようとか(笑)半分冗談なんですけど、そういうのがひとつひとつ支えになりましたね。
ひと回り年下の同級生から学んだ教え
グローバー:東大の卒論を書く時に、さっき言ったみたいに脳みそがもつれているので、ものすごい時間かかってしまったんです。提出日のギリギリまでやっていたんですけど、その時にひと回り下の22歳の同級生が家まで来てくれたんです。正月で家族は実家に帰していたので、彼に手伝ってもらいながら必死に卒論を書いていました。
休憩しようとベランダでタバコを吸っていた時に、頭がこんがらがってしまっている自分に彼がふと「グローバーさんにピンと来る話かどうか分からないですけど、『課題の分離』というのがあるんですよ」と言ってきたんです。何かやろうと思ったときに、例えば今の僕で言うと、料理をほとんどしないので、「肉じゃがを作ってください」と言われたときに、途方にくれるじゃないですか。途方にくれるのは、漠然とした課題を全部見ちゃっているから、自分じゃできないんじゃないかとか、どうしようとかなっちゃうと。そんな時は、課題を分離するといいと言って、「じゃ、じゃがいも1個。これ洗えるかな?」――「うん、洗える」。「じゃ皮をむくことはできるか?」――「時間かかるけど、皮ぐらいだったらむけるかな」。「食塩を買ってこれるか?」――「できる」。というふうに、目の前にある1個のことをできるか?できる!というところまでどんどん分離していけば、できますよと言われて、なるほどと…。
それで途方にくれていた卒論も、1個1個、「この文献を訳せるか?」――「訳せる」。「引用できるところだけ選べるか?」――「選べる」。とかやっていったら、できたんですよね(笑)。どうにか締め切りまでに間に合って、朝の8時、9時頃にできたんです!
あの時の体験はその後、何かチャレンジするときに、必ず頭の中にありますね。無理かなと最初思っちゃうじゃないですか?ヘアピンカーブでビビってブレーキ踏みたくなっちゃう。アクセル踏んで突っ込むのは怖いというときに、見えてもいないカーブの先のフェンスを想像してもしょうがないというか。アクセルを踏んだら、次にやることは?ハンドルをしっかり握ろう!次は、しっかりカーブ見て、徐々に曲がっていこう!とか。課題を分離することで落ち着いて対処できるようになりました。
グローバー:その彼と知り合えたのも、向こうから話しかけてくれたんですよ。再入学して、1人だけおじさんの自分が肩身の狭い思いをして、大学近くのマクドナルドでちょっと人生を振り返っていたら(笑)、「グローバーさん、同じクラスのヤナセです。僕、中学のとき、『朝焼けの旅路』着うたにしていました!」と言ってくれて、音楽やっていてよかったなぁ〜って(笑)。暗闇で腕をぶん回して、たまたま何かに当たったことが、無駄じゃなかったと思ったりして。
ミュージシャンとお金「貧すれば鈍する」
グローバー:お金に関しては全く見えない中、ずっと生きてきました。大学を中退する時は、ラジオの仕事や音楽チャンネルの仕事とかで家賃や食費は全然賄えていたので、これからもこうやって生きていこうと思っていました。でも実際はそんなに甘くはないわけで…。
今でこそ、ちゃんと仕事をしながら音楽をやった方がいいという考えもあるんですけど、当時は、いろんな仕事を整理して、ハングリーに音楽に向き合うことで、いいものが生まれるんだ!みたいな精神論がありましたね。
それでラジオなどしゃべりの仕事を整理して音楽に集中したんですけど、「貧すれば鈍する」という言葉通り、食うや食わずとなってくると、肩に力が入ってきたり、視野が狭くなってきたりして、自分にとってはハングリーでいいことはありませんでしたね。
だから結婚して家族のために稼ぐと決めて、CDもそのためにちゃんと売らなきゃ、どうにか宣伝したいですと、それまでお世話になっていたいろんな人に相談しました。大学中退の時にラジオ番組をやっていたプロデューサーにも相談に行ったんですけど、その方も「課題の分離」のようなことを言ってくれたんです。音楽もこうで、大学もこうで、美術も勉強しなきゃ、家族も食わせなきゃ…と話して「どこか仕事をさせてもらえる事務所とかありませんか?」と。
そしたらプロデューサーは「お前の今の状況は面倒くさい!そんな面倒くさいやつを抱えるところはない!」と。まず「今、何がしたいか整理しよう」となって、1個1個整理していったら、課題は「とにかく頑張って作ったこのCDをどこかで宣伝したい」に絞ることになって、「じゃあ今、東大に行っているから『Qさま!』とか、クイズ番組に出られないかな?」と思って、目標は「『Qさま!』に出たい!」一個にしようとなったんです。「じゃあ『Qさま!』に出たいと思っている男がいる」ということで知り合いに相談してみるよと言ってくれて、それで今の事務所に所属することになったんです。