「そもそもなぜ原は国際協力に関心を持ったのか?」
実を言うと僕は大学入学当初、将来は教師になろうと考えていました。その頃はアフリカなんか全く興味なかったし、国際協力という仕事があることすら知りません。当時の自分に「お前は5年後フリーランスとしてアフリカで働くことになる」といっても、絶対に信じてもらえないでしょう。
今回の記事では、そんな僕がどうして国際協力の世界へ足を踏み入れることになったのか、その原体験をお伝えします。
高3の進路相談で何となく決めた「教師になろう」
もともと友達に勉強を教えることが好きだった僕は、高校3年生の進路相談で担任から「原くんのような人にこそ教師になってほしい」と言われ、「それじゃあ」と簡単に決めた"夢"です。今考えてみれば、大した思い入れもありませんでした。
早稲田大学の文学部に入学したのも、教師になることを前提としていたからです。教職を履修しつつ、2年生からは英文科に進んで、大学卒業後は英語科の教師になろうと思っていました。
「海外で働きたい」意識高すぎる学生たちとの出会い
僕はその授業で初めて、社会課題に取り組むNPO/NGOという組織があること、そして「国際協力」という世界があることを知ったのです。
その授業には、海外で働くことを視野に入れている本当の意味で意識の高い学生がたくさんいました。彼らと一緒に授業を受ける過程で、自分の将来に対する考えの甘さを痛感させられたのです。
これじゃあ、まずい。とりあえず海外ボランティアをやってみよう。
「まだ1年生なんだし、もっと色々な世界に目を向けてみよう。」
「せっかく頑張って英語を勉強しているのだから、春休みは海外に出だい。」
「就活で使える話題が欲しい」
こんな浅はかな動機からリサーチをはじめ、最終的に「フィリピンでのボランティア」に辿り着きました。
ありきたりな海外ボランティアにありきたりな気持ちで参加した
現地滞在はたったの6日間。携わった活動も至って普通のボランティアです。マニラの貧困地区でストリートチルドレンに給食活動をしたり、スラム街の子どもたちと汗だくになりながら遊んだり、孤児院を訪問して簡単な勉強を教えたり。
ボロボロのワンピースを着た一人の女の子
ですがフィリピン滞在の最終日、空港に向かう車の中から僕はある光景を目の当たりにします。
車の往来激しい3車線の道路。車と車の間を通り抜けながら、一人のストリートチルドレンが歩いていました。ボロボロのワンピースを着た7歳くらいの女の子です。
彼女は裸の赤ん坊を抱え、車の窓ガラスを叩きながら「お金をください」と物乞いしていたのです。あの瞬間、雷に打たれたような衝撃が自分の中に走りました。
「今まで色々な場所を訪問してボランティアしてきたのに、まだここにも貧しい子どもがいる。しかも、これまで出会ったどの子どもよりも辛そうな表情をしている。僕が目を向けるべき課題、やるべき活動は、もっと他にもあったんじゃないか…?」
そう、僕は強い後悔に襲われました。
なぜこの世界はこんなにもアンバランスなのか?
その瞬間、もう一つ感じたことがあります。それが、アンバランスすぎる今の世界への憤りです。
「大学の授業が終わり、帰りにコ
ンビニでお菓子を買える僕のような大学生がいる一方で、どうして飛行機でたった数時間来た先のフィリピンには、その日生きるためのお金を得るため物乞いしなくてはならない子どもがいるのか。どうしてこの世界は、これほどまでにアンバランスなのか。」
こんな世界の不平等、本を読んだり、映画を観たりすれば、すぐにでも分かることです。でも、生まれて初めて自分の目で“世界の不条理”を見たからこそ、アンバランスすぎる今の世界に強い憤りを感じました。
空港に着いた後僕はトイレに駆け込み、一人涙を流しました。
5年前の自分に伝えたい。「無力感に負けるな」と
物乞いの女の子と出会った時、僕はどうしようもない無力感に襲われました。目の前に巨大過ぎる問題を突き付けられた気がして、自分の存在がいかにちっぽけかを痛感したんです。
あの瞬間は、「自分なんかに一体何ができるのか」と思っていました。
でも、あれからの5年間、僕はたくさんの国際協力活動に携わってきました。時にはアフリカの難民を支援したり、時には日本で平和講演をしたり、時には自分の経験を本にして出版したり。
「どんな功績を残したのか?」と質問されても、うまく答えられるかは分かりません。でも、少なくとも自分が無力な存在ではないと、胸を張って答えることができます。
国際協力は大きなテーマだからこそ、時として自分一人ができることの限界を痛感させられます。でも、決して無力感に負けることなく、目の前にある自分にできることを淡々と続ければ、きっと道は拓けるはず。
この5年間の経験を通じ、そう確信しています。
フリーランスという立場で働いている今、個人で出来る国際協力に限界を感じ、悔しくなることもあります。そんな時こそ、自分自身に「無力感に負けるな」と言い聞かせたい。
この記事を書き終えた今、改めてそう思います。