おとな女性の「女カースト」実像と虚像

カルチャー
遠い昔に授業で習った「カースト」。その言葉を再び聞いたのは、同僚の娘さんが通う女子高での話。

進級する4月のはじめクラスの一部の生徒らが決めた、学校空間での人気度合を表す序列。格付けランキング結果のラインが届くのだそうです。その時初めて「スクールカースト」という言葉を知りました。
なんてバカバカしい、お嬢様学校として名高い名門校とは思えない。他人ごとながら憤慨したのを覚えています。

気をつけてみていると「ママカースト」という言葉もよく見るようになりました。「カースト」は随分前から流行しているのですね。女性が集団になると何かと格付けし比べたくなるものかもしれない。3人の子育てを経験したので、学歴や夫の職業、持ち家、お受験、自分のお小遣いなどで、無意識に格付けしていただろうし、されていたかもしれない。「カースト」という言葉がなかっただけで、やっていたことは昔も変わらないのだと思
いました。

45歳で働くようになり、ママ友関係とも疎遠になりました。いったん離れてみれば無くてもいい人間関係でした。自分にとって心地よい人間関係だけを持つようにすれば、「カースト」とは無縁となりました。年齢を重ねることは人生の経験を積むことでもあり、自分とは何ぞや?と考えるきっかけにも出会うこともできます。そうすると段々自分の中に1本の幹が育つのを感じるようになりました。この幹をどんどん太くしていけば「自分らしさ」となりオリジナルの人生を歩んでいけると信じています。

先日のおとな女性のお茶会でのこと。久々に「カースト」という言葉を聞きました。そもそもおとなの女性には「カースト」があるという話になったのです。そのトップは既婚・子供あり・専業主婦の3つの条件を備えた女性。そして最下層が未婚のおひとり様というのです。まさに女子会あるある。女性が集団になると何かと格付けし比べたくなり、その場を盛り上げるための話題の一つになっているのだろうと想像しました。以前に「夫婦は添い遂げてなんぼである」というコラムを書きましたが、別れてしまっては夫婦とは何かという本当のところは自分では分からない、と締めくくりました。

人は経験したとしか分からないのです。憧れのパリに行ったことがない私は、パリを知りません。知らないから雑誌や映画、TVを見て想像するしかないのです。知らないから先入観でパリとはこういう場所だと思っています。知らないからこそ、強く憧れるのです。たとえ観光で行けたとしても、住んでみるのとは違うでしょう。それと一緒で「女カースト」も全ての階層を経験することは不可能です。とすれば「カースト」はなんら信憑性のない虚像でしょう。

知らないことは、「知りません」でいい。分からないことは、「分かりません」でいい。知らないことを想像で熱く語るより、いろんなことにチャレンジをし、時々こけながらも経験を積み、それを楽しく語れる人でありたいと感じました。それが誰とも比べることのないオリジナルの人生を歩み、充実感を持って生きられる近道ではないかと思うのです。

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