2019年2月4日 更新

〈高木琢也|OCEAN TOKYO代表〉インタビュー/「くだらねぇ」が出発点

ド派手なレッドヘアにビッグマウス。NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」に登場し大きな話題をさらったOCEANTOKYOのヘアスタイリスト・高木琢也さんだ。人気NO,1美容師からカリスマ経営者へと変貌をとげた若き成功者にとって「お金とは?」を訊いた。

2019.1.29
高木さんは、5年前、ライバル店のNO1.スタイリスト・中村トメ吉さんとタッグを組んで「OCEANTOKYO」を原宿の地で立ち上げ、若者たちのカリスマ的存在として人気を集めます。現在では、東京(すべて渋谷区)に5店舗、大阪に1店舗を展開する大成功ぶりです。
STAGE編集部:OCEANTOKYOの立ち上げのきっかけや当時の気持ちを教えてください。
高木:前のサロンとはけんか別れで辞めているので。不満だったのは、「年功序列」。実力社会と言うよりは、年上だから店長になれる、といったことです。撮影モデルさんの選択も年上から。10人いたら僕は一番若いので10番目です。上から選んでいくと、僕が担当したいモデルさんじゃない場合があるじゃないですか。実力でもランキングでも結果が出てるし、「僕にやらしてほしい」「いやいや、お前もう売り上げているからいいじゃん」と言われて。最終的には撮影もなくなっちゃう。
そのサロンで1番売れていたのが僕で、ライバル会社では今の相方が1番売れていて、お客さんがかぶっている部分もあるんです。僕が切ったり、あいつが切ったり。でも、自分は自分の売り上げもあげたいし、自分のお店のほうを評価してもらいたいから、より頑張るというか。
原宿という所はお洒落グループの最先端の子たちだけをピックアップして「お洒落して来なきゃだめだよ」みたいな雰囲気があったんです。狭いマーケットで少人数のお客の取り合いになる。それを俺はけっこう「くだらねぇな」と思っていて。「本当は行ってみたいけど、俺なんかが…」という人って結構いると思うんです。その人たちをイケてる人たちが「お前も一緒に行かね?」と言ってくれたら、行きやすいし、行ってみたら「うわ、本当にかっこよくなった」となったら、1歩踏み出せないでいた10人が来るかもしれない。
そうなれば、お洒落グループ5人だったところが、15人になって、僕で5人切っても、あいつで5人切っても、どこのサロンで5人切っても、僕の数字も上がるし、もともと2、3人だったものがどんどん増えていって、もっといいじゃん、みたいに考えていました。
僕は田舎で育ったから、原宿の美容室でかっこよくなりに行くのに、洋服気にして、自分の髪型気にして、質問も「こんなこと言っていいのかな」とか、「これ聞いたら頭おかしい人と思われないかな」という気持ちがすごくわかる。自分がそうだったから。
原宿ってそういう感じで緊張する所だったから、緊張しないでもいいんだ、という所にしたいというか、そういう美容室をつくろう、という気持ちでしたね。他店に入ろうと思った時もあったんですけど、「誰かに従うの嫌かも、やめておこう」と(笑)。
ドラゴンボールでいうと、悟空が強いじゃないですか。新しい敵キャラが出て、そいつも強いじゃないですか。「えっ、もう勝てないじゃん。どうするんだろうな」となったときに、フュージョンしたでしょう、悟空とベジータで。どんだけ強くなるの?みたいな。そこのわくわく感と同じでした。僕らも一応メンズの中で1、2だったから、そこから上がっていく感じが何となく見えていたから、「3年やって成功したらそのままでいいし、だめだったらやめよう」と言い合ってはじめました。当時は共同経営もすごく否定された。でも逆に10年経ったときに共同経営がスタンダードになってるかもしれない。先のことはわからないけど、僕たちはどこにも屈しないサロンを目指そう、と。
STAGE編集部:おふたりで、どんなサロンを目指したんですか?
高木:前のサロンでも、今のサロンでも、やっていることは一緒で、自分の得意とする必殺技みたいな部分は持っています。うちの王道スタイルみたいのがあるじゃないですか。前のサロンも1つあったんです。でも、僕はその人に合った髪型にしたいから、「この人王道じゃないほうがいいよ」「この人は刈り上げして、オールバックでもかっこいいじゃん」とか「この人は金髪で」とかと思っていても、「うちのサロンのスタイルに反する」と。「え?何言ってるんですか」みたいな。僕は「個性的な髪型もできるし、王道の髪型もできると売ったほうがいい」「だって、お客さんに合わせるものだから」と言っていたけど、通らないので、「じゃあ、証明してやったほうがいいな」と思いました。「お前らの感性ずれているんだよ」というのをやるのには、自分でつくるしかないなと。一生反抗期みたいな感じですね(笑)。
今、うちだけが儲かっているとか言う人いるけど、お金とかそんなことはどうでもいいんです。一人一人の可能性を拡げたい。そして美容師の可能性も拡げたい。「ヘアカラーって楽しい」「スタイリングすると昨日の自分と違う」とかそういうのをまだ知らない人達に伝えたい。そして「日本を変えたい」。OCEAN TOKYOだけでじゃなく、美容師がすげーって時代を俺たち2人で作ろうと思います。
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