『21 世紀の貨幣論』が主張するお金の本質
フェリックス・マーティンの『21 世紀の貨幣論』は、こうした事例に基づき、「通貨そのものは
マネーではない。信用取引をして、通貨による決済をするシステムこそが、マネーなのである」
と結論づけています。
マネーではない。信用取引をして、通貨による決済をするシステムこそが、マネーなのである」
と結論づけています。
歴史上の事実から見えてくるのは、手にとって握ったり折りたたんだりできる物である通貨こそ
がお金そのものであり、お金のやりとりから債権や債務が発生したという流れではありません。
むしろその逆、債権や債務の決済をまず行っており、その際に便利な代用物として用いられたの
が通貨だったという流れです。だからこそ、お金(本書の言い方では「マネー」)とは、それを含ん
だシステム全体のことだと分析できるのです。
がお金そのものであり、お金のやりとりから債権や債務が発生したという流れではありません。
むしろその逆、債権や債務の決済をまず行っており、その際に便利な代用物として用いられたの
が通貨だったという流れです。だからこそ、お金(本書の言い方では「マネー」)とは、それを含ん
だシステム全体のことだと分析できるのです。
こうした通説と異なる貨幣論におけるお金の基本要素は次の3 つ。
(1) 抽象的な価値単位を提供すること
(2) 会計システム
(3) 譲渡性
(1) 抽象的な価値単位を提供すること
(2) 会計システム
(3) 譲渡性
この中で特に重要なのが譲渡性です。つまり、お金とは譲渡することが可能な信用なのです。わ
かりやすく言うと、通常「私はA さんを信用している」という場合であっても、A さんが私から
の信用を根拠にして食べ物を手に入れたり、家を手に入れたりできるとは言えません。しかし、
お金はそれができます。A さんの仕事に対して私の信用(マネーの代替物としての硬貨や紙幣)を与
えると、A さんはその信用を使って夕飯の買い物ができたり、家のローンを支払ったりできる、
といった具合に。これがお金のもつ信用の譲渡性です。
かりやすく言うと、通常「私はA さんを信用している」という場合であっても、A さんが私から
の信用を根拠にして食べ物を手に入れたり、家を手に入れたりできるとは言えません。しかし、
お金はそれができます。A さんの仕事に対して私の信用(マネーの代替物としての硬貨や紙幣)を与
えると、A さんはその信用を使って夕飯の買い物ができたり、家のローンを支払ったりできる、
といった具合に。これがお金のもつ信用の譲渡性です。
新しい貨幣論は、お金の雑学を増やす以上の、世界の見方を変える力を持っています。たとえば
子供たちのお手伝いに対して渡す「おこづかい」が様変わりするのです。即物的な報酬であった
おこづかいが、大人から子供への信用を与え、その信用を使って子供が自ら経済活動の一歩を踏
み出すことを認めることであると解釈できるように。信用のすべてがお金で表されるものでない
ことには注意が必要ですが、お金が特殊な形態の信用であるという点は非常に示唆に富んでいま
す。
子供たちのお手伝いに対して渡す「おこづかい」が様変わりするのです。即物的な報酬であった
おこづかいが、大人から子供への信用を与え、その信用を使って子供が自ら経済活動の一歩を踏
み出すことを認めることであると解釈できるように。信用のすべてがお金で表されるものでない
ことには注意が必要ですが、お金が特殊な形態の信用であるという点は非常に示唆に富んでいま
す。
【参考文献】
フェリックス・マーティン(遠藤真美訳)『21 世紀の貨幣論』東洋経済新報社、2014 年
フェリックス・マーティン(遠藤真美訳)『21 世紀の貨幣論』東洋経済新報社、2014 年