2019.1.24
人間として必要なことは全て父から学んだ
1925年、イングランド東部のリンカンシャー・グランサムで食糧雑貨商を営む家に生まれたマーガレット・サッチャー(旧姓ロバーツ)は、地元の名士でもあり市長を務めた父アルフレッドの影響を強く受けました。時間や規律を守って規則正しい生活を守るメソジスト派の宗教に熱心だった父親の影響で、「質素倹約」「自己責任・自助努力」の精神の精神は彼女の成長過程で培われ、後の政治指針の中で活かされることになるのです。
読書家であった父親の影響で読書にふけり、10代で「デイリー・テレグラフ」紙や「タイムズ」紙を読み、父親と政治や社会問題について議論を重ねるといった習慣が、彼女を政治の世界へと関心を抱くきっかけになったと自身も語っています。
思春期に父親から言われた言葉、「他の人がやるからというだけの理由で、何かをやってはいけない」という教えは、彼女が政治家になった後も、閣僚や官僚が前例を重視する慣例的な主張に対して同様の言葉で「多数に追随するな。自分自身で決断せよ。」と反論しています。
リーダーは好かれなくてもよい。しかし、尊敬されなくてはならない。
名門オックスフォード大学に進んだサッチャーは、化学を専攻するも大学の保守党協会に入会し、政治に関心を持つ同士で議論を交わして雄弁術も身につけ、選挙集会で演説を行ったり、学生最後には保守党協会の代表を務めるまでになりました。この頃、フリードリヒ・ハイエクの経済学にも傾倒しており、この時培われた経済的な思想が、後の新自由主義的な「サッチャリズム」と呼ばれる経済改革の源流となります。
政治の世界へ進んだサッチャーは2度選挙に落選しますが、その頃出会ったデニスと結婚し、子供も設け出産・育児に明け暮れます。1952年にエリザベス2世が即位し、新女王時代の幕開けとともに女性の活躍が期待されるようになると、その翌年弁護士資格を取得したサッチャーは、「子を持つ母でも政治家としての職務を全うするのは可能である」ことを証明するために、1959年ロンドンから3度目の出馬をし初当選を果たしました。
34歳で政治家となり、1970年に教育相に任命されたサッチャーは、経費削減対策として児童への牛乳無料配布を6歳以下に限定し、給食費値上げを実施すると、「ミルク泥棒」と世間からバッシングに遭います。しかし彼女は「好かれようとしているだけなら、いつでも何でも妥協する用意があり、何も達成しないだろう。」との名言を残して批判を振り払います。
お金は天から降ってこない。地上で稼ぎ出さねばならない。
1975年に保守党党首に就任すると、ヘルシンキ宣言を批判したことでロシアから「鉄の女」と揶揄され、このニックネームは生涯彼女の愛称として親しまれてきました。当時の英国は「ゆりかごから墓場まで」を謳う手厚い福祉政策により、人々の労働意欲は失われ、国に依存する体質は国民にしみつき、「英国病」「ヨーロッパの病人」と呼ばれるほどに衰退していました。
1979年に女性初の首相となったサッチャーは、この病の治療には「ぬるま湯に浸かりきった国民の依存体質を止める意識改革」が大切と考え、「金融の引き締め」「税制改革」「規制緩和」「一般大衆参加の資本主義の導入」といった「サッチャリズム」と呼ばれる一連の政策を実施します。「小さな政府」と呼ぶこの新自由主義的な政策で規制緩和や国有企業の民営化を推進し、民間企業による経済活性化を目指しました。
この政策は、これまで社会主義の下、安寧を保証されていた国民から、「弱者の敵」とみなされ多くの批判を引き起こしますが、「私の仕事は英国が共産主義に向かうのを防ぐこと」と信念を貫きます。そして1982年に期せずして起こった「フォークランド紛争」で果敢に挑み、領土奪還に勝利したサッチャーは国民の英雄へと祭り上げられます。
私が戦わなかった日など一日たりともありません。
しかし彼女の革新的な経済政策が格差社会を生み、労働組合の反発は収まらず、史上最大規模の失業率は続き、1984年にはIRAの爆弾テロにも遭いますが強運から生き残ります。サッチャーの仲介もあって「東西ドイツの統一」を迎え冷戦時代が終結すると、彼女はユーロ加盟の前段階となるERM加入に反対の立場をとり、任期終盤に打ち出した「人頭税」が命取りとなり、1990年に首相を退陣します。
晩年は認知症を患い、夫に先立たれ「愛情を十分与えられなかった」と悔やむ子供たちに世話されることもなく、ロンドンの「ザ・リッツ」のスイートルームで静かに暮らし、2013年に87歳の生涯を閉じます。
「国を救った偉大な指導者」と讃えられた彼女の葬儀は、セント・ポール大聖堂で国葬級で行われ、エリザベス女王をはじめ、各国の政治家など2,000人が参列し、多くの市民が追悼パレードにつめかけました。
まとめ
彼女の「戦い」はこうして終わりましたが、賛否両論はあれ、彼女の政策で大きく国は変化し病んだ母国を救ったのはまぎれもない事実です。彼女の残した軌跡は英国史上重要なターニングポイントとして歴史に刻まれることでしょう。
参考文献
Wikipedia:
「マーガレット・サッチャー」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC
世界史の窓:
「サッチャー」
https://www.y-history.net/appendix/wh1701-045.html
オンラインジャーニー:
「英国の偉人の生涯をたどる 『Great Britons』~マーガレット・サッチャー」
https://www.japanjournals.com/feature/great-britons/3907-margaret-thatcher.html
https://www.japanjournals.com/feature/great-britons/3910-margaret-thatcher-44415757.html
ライブドアニュース:
「英国初の女性首相マーガレット・サッチャー氏を鍛えたスパルタ父親」
http://news.livedoor.com/article/detail/15437885/
癒しツアー:
マーガレット・サッチャーの名言・格言
http://iyashitour.com/archives/24779