年末、頼まれた企業のインタビューで、その会社の提供サービスの金額が高い?安い?妥当?かと質問されました。
私は少し考えて「どれも当てはまらず」と答えました。というのも、そのサービスが自分にとって欲しいものである。価値があると思うならばその金額そのままをお支払いする。それが高いか安いかなどは全く考えません。
その時、その金額の持ちあわせがなければ、諦めるかもしれないし借金をするかもしれない。手持ちがあれば、喜んでお支払いします!と答えました。
日々の暮らしの、どうでもいいような物には、100円のお金も始末してケチりますが、本当に欲しいものがある時には、高いとか安いとか「お金」の価値について考えません。
例えば家族で行く旅行とか、リラックスの為のひとり旅だとか、とことん安いところを探してなどの努力はしません。
ちょっと無理な金額の時でも、エィッと支払った時に、支払える自分に喜びを感じます。
送り出したお金に対し、いい買い物ができた「ありがとう」と思うのです。
これまで、「無理したな」と思うお金を幾度か出しました。
それが不思議なことに、それに見合うお金が別口から入ってきたりしたのです。いつの間にか帳尻があってしまっています。
最近のことで一番の出来事は、母を施設に入所させた時のこと。かかる費用の面でこれはちょっと無理だな、しんどいなと思いながらも、やっぱりここが良い!と決断しました。
母には、年金があったのですが、それだけでは足りず、不足分を私が補うことにしました。万が一支払えなくなれば、銀行の介護ローンを借りようと考えていました。
母が施設に入居をしたおかげで安心して仕事に向かうことができました。
母には快適な施設の生活を過ごして欲しいと願っていました。それを勿体ないなどとは思えなかったのです。
実家を片付け売りに出す。古くて綺麗とは言い難い実家を欲しい人は現れるのだろうか、と不安の気持ちもありました。
ところが、その数ヶ月後、予期せぬ出来事が起こりました。
親戚を通して「知人に貸してほしい」とお願いされたのです。それもちょうど施設費用の不足分くらいのお家賃で。
こんなミラクルが起きるのだろうかと思いました。
それも身近な親戚に助けられるという、有難いなと思いました。
そんなミラクルは時々起きるのです。
誰でも、「お金」を受け取る時には、ほくほくした気持ちになりますが、出す時には損をしたくない。勿体ない。など負の気持ちが現れるものです。
随分前の私もそうでした。けれど、どうせ出すのなら気持ちよく出したい。その気持ちにフォーカスするようにしたら、苦しいなと思っても、いつの間にか帳尻があっていることに気づいたのです。
「お金」を出す時には感謝の気持ちをのせて払う。
これは、「お金の本」にもよく書かれていますね。ほんとその通りだと実感しています。
決して裕福ではありませんので小さなお金が目の前を行ったり来たり流れています。
お金の器の大きさは人それぞれです。しかし、お金に対する感謝の気持ちには大小はなく、すべて同じではないかと思います。
お金と差し出す相手に感謝を込めて、お支払いする時には新札を心がけています。
これなら庶民の私にもできることなので、月に一度銀行で新札に変えてもらうようにしています。
今年皆さんのお金の流れが良くなりますように。