〈長谷川穂積〉 ボクシング世界チャンピオン3階級制覇! 強い相手、そして自分と戦い続けて身に付けた「人生の美学」とは

インタビュー

2016年9月16日。激闘を制しWBC世界スーパーバンタム級王者に。3階級制覇の偉業を達成しました。引退後の現在は、解説者としてボクシング界に貢献しながらタレント活動、さらにはタイ料理店のオーナーも務めている長谷川さん。

長きに渡る王座防衛の後に陥落、そこからの劇的な返り咲きという唯一無二のボクシング人生の経験は、どのような形で今に活きているのでしょうか?

ボクシング人生。そのスタートは決して順調ではなかった。

STAGE編集部:プロ生活17年で築いた輝かしいキャリア。そのはじまりとは?

長谷川:父親がプロボクサーだったので、その影響もあり小学校2年生から教えてもらいました。でも中学校では卓球部に入ってボクシングを離れ…再開したのは高校を中退した時ですかね、都会に出たいからボクシングするという理由で(笑)。そこから自然と目標がプロになっていきました。

トレーニングの合間に靴屋・時計屋などのバイトもやっていましたけど、30万円くらい借金もしました。「これ永遠に返されへんわ!」と思っていましたね。

STAGE編集部:駆け出し時代。やはりボクシングの試合だけでは食べていけなかった。

長谷川:全然でしたね。チケットで10万円分ぐらいしかもらえないです。現金ではなくてチケットを自分で売って、売った分だけお金になって、それでマックス10万円。試合は3カ月に一回のペースだったので、バイトが時給850円、900円に上がったりするとめっちゃ喜んでいたのを今でも覚えていますね。

STAGE編集部:デビュー5戦の成績は3勝2敗。これは、世界チャンピオンとしては珍しいほど悪い成績。しかし、ボクシング人生を変える大事な一戦を経験することに…

一度負けた相手へのリベンジが転機に

STAGE編集部:ボクシング人生を変えた、ある試合とは?

長谷川:デビュー3戦目である相手に負けたんですけど、僕はその相手の「全日本アマチュア社会人チャンピオン」みたいな肩書きに委縮して負けてしまったんです。

でも約1年後にリベンジするチャンスが来て、前は委縮して負けたから、技術では負けるかもしれへんけど気持ちで勝とうと思ってやったら、不思議と相手が下がり出したんですよ!この時に、大事なのは気持ちなんやって、確信しました。

STAGE編集部:気持ちの強さが技術を凌駕する瞬間を、身をもって経験。その後は連戦連勝を重ね2005年にWBC世界バンタム級の王者に。さらに10連続防衛に成功するなど実に約9年間王座に君臨した。

長谷川:ちなみに僕、嫁さんと22歳で結婚しているんですけど、その時に向こうのお義母さんに挨拶に行くと親戚とかもいっぱいいるわけですよ。そこで「ボクシングしていて、フリーターで、結婚します」と言ったら、普通、絶対反対するでしょう? せめて就職してからにしなさいとか。でもそれが「よろしくどうぞ」みたいな感じだったんです。

今になって「何であのとき許してくれたんですか?」って聞いたら、目がキラキラして輝いていたと。やっぱりそういうものって自然と伝わっていたんじゃないかと思います。

練習するのは当たり前。「試合はおまけ」という考え方。

STAGE編集部:試合前、押し寄せる不安にいかに対抗するのか…

長谷川:練習しかないですね。僕は世界一練習していると自分で思っていました。でも、僕より練習している人はたぶんいっぱいいるんです。だけど練習量って比べるものじゃないから。自分が見てきた中で、誰よりも練習しているなと思えた時点で、多分世界一練習しているので、そういう意味では世界一練習していました。

僕の中で大切にしているのが「練習は本番、試合はおまけ」という言葉。ですからいつも本番のつもりで毎日練習をしていました。それだけ練習すれば、試合はおまけですから、楽にやれるんですよね。だから、世界一練習するのが勝つための最低限のことだと思います。それをできなかったら、勝つかどうかのスタート地点にも立てないと思っています。

STAGE編集部:しかしプロアスリートたるもの突然の怪我など、自分ではどうしようもない逆境に見舞われることも…

長谷川:最後の試合は本番の45日前に親指を骨折しましたし、別の試合ではリングに上がる10日前に足首の腱断裂をしたこともありました。でも、「怪我も実力」というおかんの言葉があるんです。実力ある者は怪我をしても勝つって昔からよく言われていたんですよ。

アバラが折れたときは、さすがに命にかかわるのでキャンセルになりましたけど、それ以外はもう全部受け入れてやりましたね。相手も強くて、正直めっちゃ怖かったですけど(笑)

STAGE編集部:怪我をも乗り切る気持ちの強さ。そんな長谷川穂積さんがボクシングをしていて一番苦しかった時というのは…

長谷川:それは…世界戦をしたくてもできなかった時期ですね。2階級制覇した後、初防衛戦に負けてから、キコ・マルチネスという選手と試合するまでに3年かかったんです。その間はしんどかったですね。

この試合に勝ったら、次は世界戦だろうと思って。1年経って2年経って、まだかなまだかなという感じで…。結局3年待って、やっと世界戦ができた!これでようやく終われる(引退できる)!と思ったんです。でも実はその考え方が間違っていて、3年間待ち過ぎたために世界戦をすることが目標になっていたんですね。

最終ゴールは世界チャンピオンになることなのに、やっと世界戦だとリングに上がって満足していたんです。リング上でコールを受けた時は「ああ、これで終われる」という気持ちでした。それで、結果的には負けて、負けた後に気付くんですね。何で俺、リングに上がってそこで満足してしまったんだろうと。結果的に負けるかもしれないけど、世界チャンピオンになりたい気持ちで試合するのが一番美しい終わり方なのに…という悔いが残りました。だから引退せず、階級を変えてもう一度世界チャンピオンを目指そうと思いました。

STAGE編集部:決意も新たに戦った結果、世界3階級制覇の偉業を達成!その裏には、拳を交える相手はもちろん、自分自身との壮絶な戦いがあった。

長谷川穂積さん

1980年12月16日生まれ、兵庫県西脇市出身。1999年にプロデビューし、2005年、世界初挑戦で王者を倒してWBC世界バンタム級チャンピオンとなる。その後、絶対王者として5年間君臨し続け、10度の防衛に成功。その後は王座陥落するも、階級を上げてWBC世界フェザー級王者。WBC世界スーパーバンタム級王者という悲願の3階級制覇を達成。「年間最高試合賞」を何度も受賞するなど、その熱いファイトに魅せられたファンは数知れず。

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