名画を観てひとりアート研修。「黒」に近づいて、感じる心を深めてみる

こんにちは。芸術の秋ですね。美術展用映像・コンテンツ企画製作= “美術展のクロコ業”十余年の、かってんともこと申します。あなたは、アートに接して感じたことを人に語ることができますか? 企業にも導入されているアート研修をおひとりさまでも。美術「ひとり研修」第2回目は、「黒」にまつわるお話です。

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この絵、何が描いてあると思いましたか? 教えてください。
2018.10.14

「黒」って何もの?

皆さんは、「黒」にどんな印象を持っていますか?
高級やモダンな印象もある一方、喪を表す色であり、負けは黒星、有罪はクロ、最近ではブラック企業など。暗い、悪い・・・多くは負のイメージではないでしょうか。
今回は、「黒」をそんな負の印象だけで済ませてはもったいない、「黒」に近づこう!というお誘いです。
「黒」という色。
印刷から映像に仕事を移した時、驚いた事があります。
プリンターのトナーでおなじみのように、印刷物制作ではCMYKの4色、シアン、マゼンタ、イエロー、クロのインクをどう使うか、%を指定する事で希望する色を印刷します。
黒はクロ、または他の3色を混ぜ合わせて指定。100%に近い程“黒い”わけで、私の中で「黒」は長いこと、他の3色と対等の“色”として当然の存在感をもっていました。
対して映像はRGB。レッド・グリーン・ブルーで構成します。美術や理科の教科書で見た、“光の三原色”ですね。
RGB世界での「黒」。映像(モニター)で黒を表現する場合、RGBは全てオフ。“信号なし”というのが、映像における「黒」なのです。
そう、「黒」は“無彩色”、0%・・・何もない。
印刷物は“色の三原色=光が当たり反射して見える色“(三原色はCMY。CMYが混ざれば「黒」ですが、印刷ではより黒さを出すためKを加えているそうです)、映像は”光の三原色=発光で見える色”がベース。印刷物で「黒」の存在を当然にしていた私には、ある日100%が0%、でもどちらも「黒」・・・これは少なからぬ衝撃でした。
全部ある、同時に何もない、という哲学問答。文字通りの“色即是空”。
これは侮れない・・・
色彩を扱う芸術家達は当然、この侮れなさ= “「黒」がなにものか”を、大きなテーマにしていました。例えば18世紀末、自然の光を捉えようとした印象派の画家たちは、自然界に黒はないぞ!と黒絵具を追放。ルノアールがいやいや黒は色の女王だといえば、同感だ、と語り合うルオーやマティス・・・
そんな論争や試行錯誤を経た、作品の中の「黒」。
この人は、なぜここにこの哲学な色を?そう思って見始めると、「黒」が、そして不思議な事に作品全体が、急に新しい深みと活気を帯びて感じられるようになったのです。

では冒頭の作品の「黒」をご一緒に

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これは、オディロン・ルドン《Ⅱ. おそらく花の中に最初の視覚が試みられた》1883年(岐阜県美術館蔵)。『起源』という版画集の一作品です。
印象派が勢いある中で、黒い作品を制作し続けたルドン。同時代、彼ほど「黒」を追求した画家はいないかもしれません。ということで、敬意をこめての一枚を。
ルドンは「黒」についてこう書いています。
“黒は最も本質的な色彩だ”
 “パレットやプリズムの呈する美しい色とちがって、精神のための働き手なのだ”
(『ルドン 私自信に』オディロン・ルドン 池辺一郎訳 みすず書房)
余談ですが、ルドンは晩年になり、なんと突然“色彩と結婚”します。
《日本風の花瓶》1908年(ポーラ美術館所蔵)

《日本風の花瓶》1908年(ポーラ美術館所蔵)

同じ画家と思えない鮮やかな世界。
でもこの花、はっきり描かれているのに、永遠に触れられない感じ、しませんか?
そこにありながら、ない・・・「黒」を追求したルドンにしか表現できない色彩世界の気がするのです。
今回は特に、モニターでなく実物をぜひ。今こちらでご覧になれます。
『ルドン ひらかれた夢-幻想の世紀末から現代へ』 ポーラ美術館(箱根)
2018年7月22日(日)-12月2日(日)
http://www.polamuseum.or.jp/sp/odilon_redon/
冒頭の版画は前期で展示終了のようですが、同様に「黒」を味わえる他の作品をご覧になれますよ。
★ポーラ美術館では最近「ビジネスのためのアート・ワークショップ」を始められたそう。ひとり研修が寂しい人はお勤めの会社に提案してみては?http://www.polamuseum.or.jp/info/group/artworkshop/