〈デューク更家〉桁外れの夢に向かって、ひたすら歩み続ける

インタビュー

「お金とは、愛。(デューク更家)」

ウォーキングトレーナーのデューク更家さん。独特の呼吸法が話題を呼んだ「デュークズウォーク」を考案。気功や運動生理学、武道、ヨガ、バレエ、ピラティスなどの要素を取り入れたデュークさんオリジナルのメソッドで、日本にウォーキング文化を広めた第一人者。2002年からはモナコに居を構え、日本とモナコを行き来する憧れの生活を送っています。そんなデュークさんの人生観を、「お金」を切り口に紐解きます。

お金がなかった幼少時代

STAGE編集部:デュークさんといえば、都会派というイメージがありますが、どんな環境で幼少時代を過ごされたのでしょうか。

和歌山の新宮というところで育ったんですけど、トタン長屋のすごく貧乏な家でした。トイレもなかったしお風呂もなかったです。まあ、昭和29年生まれだから、当時はお金持ちなんて本当に一握りでした。

親父は、散髪屋だったんですけど、俳句も短歌も得意で、水彩画も上手かった。ギターも弾けるし、とにかく趣味が多くて芸術的なセンスに秀でていました。ただ、仕事をするのが大嫌い(笑)。1日5人ぐらいお客さんが来たら、もう店じまい。

おふくろは、新宮ではお金持ちのお嬢さんだったから、2人が喧嘩するときは、お金の話でしたね。すごい教育熱心なおふくろで、「勉強せえ」とよく言われました。

STAGE編集部:当時の夢は何だったのでしょうか?

高校では、バスケットボールに打ち込みました。インターハイでベスト8ぐらいまで行きましたよ。ただ、当時の夢は、石原裕次郎さんなんですよ(笑)。おふくろに、「大学行けへん。映画俳優になる。俳優になって、お金稼いで楽させるから!」って言ったら、「そんなんあかん」と一蹴されましたね。

それで、バスケの推薦で大学に進学しました。1年から4年までレギュラーだったんですけど、入部したときに、監督にも先輩にも「貧乏でお金がない!」と打ち明けて、アルバイトにも精を出しましたね。朝5時半から団地を回って、パンを運ぶアルバイトをしていました。

4,000万円の借金を抱えて

STAGE編集部:朝5時半からアルバイト。エネルギッシュですね

アルバイトでお金が少し貯まったので、親孝行しようと大学4年生のときにジーパン屋さんを始めました。お店だけじゃ飽き足らず、ジーパンのデザインにも手を広げて、卸も始めました。大阪中にジーパンを卸して回っていたので、結構儲けましたね。

お店も心斎橋に出すぐらいに大きくなったんですけど、その後、デザインした商品が全く売れなくなって、大失敗ですよ。4,000万円ぐらい借金を抱えてしまったんです。昭和40年代の話だから、今だと1億円ぐらいの借金です。

STAGE編集部:借金4000万円! そこからどう這い上がったのですか?

自己破産はしたくなかったので必死でしたよ。もともとショートスリーパーなんですけど、当時の睡眠時間は2、3時間。朝は市場でタマネギ運んで、昼はメンズのデザインメーカーで働いて、夜は炉端焼き屋で店長をして、3つを掛け持ちです。ひと月で80万円を返済したりしていました。

STAGE編集部:へこたれることはなかったんですか?

よかったのは自分が「えぇかげん」だったこと(笑)。細かいことは何も気にしないということですね。借金を抱えてもあまり気にしない。辛くて悲しいけど考えてもしゃーないから、酒飲んでよし働くぞ!と。

それでやっと借金を返済して、さあ、ここから親孝行だと思ったら、おふくろが肝硬変で体調悪くなってね。スニーカーを送って「歩いたらいいらしいよ」って。まだ、俺がウォーキングやっていない頃ね。それでおふくろは砂浜を歩くようになったんですけど、歩き方が悪くて足痛めてしまってね、その後、車いすになって半年ぐらいで亡くなってしまった。おふくろは「健康なる言うて、歩いて死んでいった」。こんな悲しいことはなかったですね。

突如開けたウォーキングの道

STAGE編集部:その悔しい思いが、ウォーキングを始めるきっかけとなったわけですね。

ウォーキングは、おふくろが亡くなったことへのリベンジなんですよ。だから、本当に突き詰めてみようと思った。あとは、その頃、コシノヒロコさんのファッションショーの演出の仕事もやってたんです。コシノ先生が、「あんたは裏方やるタイプちゃうから、その服装を変えずに表に出ぇ」と言われて。そのときに「ウォーキング」というのが、ピタリとハマったんですよ。

しかもコシノさんのところでプロデューサーをやっている方がいて、その人に見せたら、「お前、これすっごくいいから一生懸命やれ。そしたら、お前に時代が合うてくる時がある」と応援してくれたんですね。

いざウォーキングを始めてみるとこれが面白くてね。それまではモデルさんを教えていましたけど、一般の人に教えていたら、一般の人の方がどんどん綺麗になっていく。みなさんに喜んでもらえる喜びでウォーキングにのめり込みました。

STAGE編集部:独特のスタイルのデュークズウォークは、ゼロから作り上げたものなんですか?

自分で工夫して編み出すというのが得意なんです。最近は、1日1万歩が歩きすぎと言われてるんですけど、当時から1万歩は疲れるに決まっているから良くないと言ってたんです。じゃあ、3,000歩ぐらいで1万歩に匹敵する効率の歩き方はないかと考えていて……。

ああいうクネクネしたことをいっぱい作って動いて、身体の可動域を広げて、その広げた可動域の中で小さく動くと。そうすると、筋肉とか神経の連結がいいから、やっぱり3,000歩ぐらいでも、1万歩と同じぐらいの効果があると考えて作ったんですね。

STAGE編集部:最初からビジネスとして成功すると確信していましたか?

あまりお金をどう儲けようとかはありませんでしたね。お金を儲けようと思ってやった仕事はうまいこといきません。小手先だけになるし、つい言葉も違うものになるし、後からついてくればいいっていうのは、本当だと思いますよ。

俺はやっぱり人に喜ばれることが好きだから、人に喜ばれることを基本に。自分も喜ぶけど、やっぱり人に喜ばれることを基本に仕事しているので、お金は回ってきます。人に喜ばれたら、お金は回っていくんです。

だから、ウォーキングを始めて5年ぐらいは、遮二無二やっていただけです。そうしたら、『情熱大陸』の取材が来たんです。これは、ブレイクスルーになったと思いますね。次の日から電話の回線はパンクするし、教室には、200人ぐらい生徒さん来るしね。みんなが喜ぶように突き進むうち、時代がついてきたという感じかな。

モナコに居を構える意味とは……

STAGE編集部:モナコに居を構えることを決意したのはその頃ですか?

モナコは、「俺に時代が合うてくる」と応援してくれたプロデューサーが大好きな場所だったんですよ。よく写真を見せられたりしてね。そしたら25歳のときに、カラーの鮮明なモナコの夢を3日3晩見たんです。

それで、モナコに行ったろ!と。実際行ったら俺にピッタリやった!と。すごいみんなが派手で、きらびやかで。それからは、日本に半年住んで、モナコに半年住んでという生活になりました。

STAGE編集部:モナコでは、どんな生活を送っているんですか?

モナコに住んでみたら、毎日が闘いですよ。何者でもない日本人が行っても、最初はカルトセジュール(滞在許可証)もないしね。3年後ぐらいにようやく取得できました。

それで、本格的にモナコの人になったわけだけど、モナコ人になっても海にも行けないし。「この海は、日本人は入れません」って言われて。レストランの席もないしね。で、俺ここで絶対に負けんとこと思って、家族に「今日からルイ・ヴィトン着ろ、グッチ着ろ」と言ってね。「車も外車のええの乗れ!」と言って。そうして外見も内面も整えることで、ようやく認められるようになりました。だからお金は貯まっていませんよね。それで、今日に至るみたいな感じです(笑)。

STAGE編集部:お子さんに、お金についてお話されることはありますか?

帝王学を教えています。「欲しいものが3つで迷ったら、1つ選ぶのではなく3つとも買え」と。買ってみて、自分で触ったり食べたりして、好きなものを見つけろと。最終的に1つを選ぶ目を持てばいいという考え方で育てています。

さらなる高みへ。歩みは止まらない

STAGE編集部:デュークさんは今、どんな夢を描いているんですか?

今の目標は、半島を買うっていうことかな(笑)。あるとき、その半島を見せられてね、「これええなあ」と。医療関係の施設を建てたいですね。

あと自分のデュークズウォーキングを発展させて、ぴんしゃんウォーキングというのをやりたいなと。「ピンとシャン」と。日本は、ますます高齢化社会になっていくだろうから、そのときにやっぱり、一番はお年寄りが元気であること。100歳まで生きたら、お金も何も要らないよと俺は思うから。

だから、半島を買って“ウォーキングパラダイス”という半島を作ってやろうと。それで動き出しました。動かなかったら良かったんだけどね(笑)。お金も苦労するし。でも、動き出したら止まらない!

それから、子どもたちがロンドンに住みたいと言うので、ロンドンにも住んでね。大変な生活をやっておりますよ(笑)。落ち着かないけど、こうやって生きていって、毎日楽しみたいなと。

成功の道筋を見極める方法

迷いはありますけど、その迷った瞬間に考えない。俺は「これ迷うな」と思ったらやめておく。「イケる」と思ったことしかやりません。心は揺れてもいいけど、乱さない。

あとは、「放っておく」ということです。今はわからないけど、時間が経つと、わかることもあります。年齢とともにわかってくることがあるから、これは迷っているんではなくて、わからないんだと。だから、迷っているものは大事に置いておく。55歳のときにわからなかったことで、今考えたらわかることもいっぱいあります。

STAGE編集部:「放っておく」、ですか。意外です。

ただ、執着心は必要ですよね。常に執着心をいくつか持っていて、それを忘れない。あとは、嫉妬心ね。「あいつに負けたくない!」という気持ちもあります。それがないと、人間は成長しません。

俺は豊かな人を見ると「やっぱ、ええなあ」って思う。でも、この人も苦しんでるんだろうなと思うと、自分も苦しんでみようと。で、この苦しみが表に出ないくらい楽しんでやろうと。それが“楽しむ”ということ。苦しいことと辛いことが表に出ている人は、楽しめていない。ということは、それだけの努力も足りないだろうなと。

だから、嫉妬と執着心はあっていいと思う。この2つの感情を持って必死に頑張って、みんなに喜んでもらうことがすべて。ベッドに入って寝るとき、今日もみんなめちゃくちゃ喜んでくれたなと思えることが本当の幸せですね。

STAGE編集部:最後に聞かせてください。デュークさんにとって、お金とは何ですか?

お金とは「愛」です。

お金というのは、本当は安心するものだと思うんです。だけど、お金は減ったりして流動的だから、安心感がないんですね。お金には安心感を持ちたい。みんなお金を不安とつなげて、「お金がないと不安」と考えますよね。だから、ついつい使わなくなるし、楽しむお金もない。

俺にとっては「愛」なので、喜んで使いたい。だから必要になるし、そのために毎日仕事をするんですよ。

「お金とは、愛。(デューク更家)」

デューク更家さん

ウォーキングドクター

1954年4月10日、和歌山県新宮市出身。気功や運動生理学、武道、ヨガ、バレエ、ピラティス、呼吸法などの要素を取り入れた独自のエクササイズ「デュークズウォーク」を確立。身心を整え、健康で更に美しく身体を作り変える独自のウォーキング理論は、女性を中心に世界中で高く支持されている。

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