〈為末大〉「スポーツ」で社会問題を解決する。その可能性を探るための新たなレースが始まった。

インタビュー

陸上男子400mハードル選手として、シドニー、アテネ、北京と過去3度の五輪に出場してきた為末大さん。日本でも数少ないプロ陸上選手としても活躍してきました。一方で数々の著書を出すなど、アスリートきっての理論派としても人気を集めています。今回は為末さんに、引退後の目標やお金、投資についての考え方を伺いました。

34歳での引退を決意。その先の人生を考えた。

神原
為末さんの本で書かれている内容や引退後の活動などを見ていると、非常にロジカルで戦略的な方なのだという印象を受けます。そういった素養はいつ頃身につけたのですか?

為末
子供の頃からかもしれません。体育の時間に「ポートボール」というバスケットボールみたいな競技をやったときのことですが、ルールでは禁止されていなかったので、友達を肩車してボールをゴールに入れようとしたことがあります。もちろん先生には怒られました(笑)。当時からルールや常識、みんなが普通と思っていることを疑って、いろいろと試してみることは好きでした。

神原
常識に縛られない性格は誰かからの影響ですか?

為末
スポーツそのものからの影響だと思います。スポーツの世界では、ルールが変わったり常識がひっくり返ったりすることはよくあります。たとえばカール・ルイスが活躍した時代には「長身が有利といわれていたのに、その後モーリス・グリーンが出てくると「手足が短いほうが良い」という話になった。「今は常識でも、いつか常識じゃなくなることがある――気持ち的にもそう構えていたほうが変化に対応しやすいですよね。そんな意識や経験が、自分の性格をつくったのかもしれません。

神原
引退後の人生について意識されたのはいつ頃からでしょうか。

為末
25歳くらいのときに、練習の疲れが翌日になっても回復しないことがしばらく続き、体力的な衰えを感じて、引退後の人生をぼんやりと考えるようになりました。そして30歳で北京五輪に出た後、「次のロンドン五輪への挑戦を最後に引退しよう!」と決めたので、その4年間は引退後の去就についてよく考えました。その際、「自分は陸上競技を通じて何をやりたかったんだろう……」と自問自答しました。陸上に取り組んできた目的を明確にすれば、その目的を達成するための別の手段が見つかると考えたからです。

神原
考えた末に見つかった目的とは?

為末
「びっくりさせること」だったんです! 子供の頃、運動会で速く走ると親や友人がびっくりして、それが面白かったという体験が根本にありました。競技を続けたのもその延長線上です。勝てないといわれた試合で勝つとか、日本人で初めて短距離種目でメダルを獲得するとか、人にインパクトを与えることが自分のやりがいでした。そして陸上競技ではもうびっくりさせられなくなったので、「次はどんな手段で世間をびっくりさせようか」と考えているところです。
スポーツの語源はラテン語の「deportare」にあるとされます。表現をするとか発散をするという意味で、英語だと「play」。英語では演劇も音楽も遊びもスポーツも「play」で表現しますよね。裏を返せばスポーツは単に競技の側面だけではなく、遊びだったり気晴らしだったり表現だったり、いろんな使い道があるということ。スポーツの新しい楽しみ方を何らかのかたちで世間に広めることで、たとえば「気が付いたら健康寿命が延びていた!」ということになれば、インパクトを与えられますよね。そういうことに挑戦していきたいと考えています。

40歳までに「ミスタースポーツ」になりたい

神原
引退後の生活は現役時代とはかなり違うと思いますが、一番大きな変化は?

為末
1日が長く感じるようになりました。アスリート時代は、陸上競技に使う時間はだいたい決まっていましたが、今は仕事をしようと思ったら早朝から深夜までずっと働けます。それくらい仕事をすると、体は疲労していないのに頭にだけ疲れが溜まります。それで頭の疲労を回復するためには体を動かす必要がある。そういう今までとは違うパターンがだんだん分かってきました。
それから根性論とか精神論に対する考え方も変わりました。アスリート時代は世界のトップを目指していたのですが、ウサイン・ボルトみたいな天才選手が現れると、「根性論や精神論ではどうにもならないことはあるな……」とある意味達観していたんです。ところが一般の社会では、勝利のかたちはいろいろあり、必ずしも世界トップにならなくてもいい。だからこそ「気合いと根性で、たいていのことはなんとかなる!
と思えるのです。そこに気づいたのは新しい発見でした。

神原
34歳にして大きな転換期を迎えられたわけですが、今後の人生のなかでどのあたりに目標を設定していますか?

為末
とりあえず40歳になるまでの目標は、長嶋茂雄さんが「ミスタープロ野球」と呼ばれたように、「ミスタースポーツ」と呼ばれるポジションになることです。私の考えるミスタースポーツとは、社会のなかでスポーツに新たな位置づけを与えていく人です。たとえば高齢者がスポーツする機会を増やせば、医療費が抑制されたり健康寿命が延びたりといったことが実現するでしょう。また、運動能力だけでなく、目標設定能力や瞬時の判断力を鍛えられるスポーツの指導方法を考案すれば、「地頭」の良い子供を育てることができるかもしれません。スポーツ選手同士のつながりを外交に生かせば国家間の問題解決にも役立ちますよね。スポーツを使って社会のさまざまな問題を解決する可能性を探っていきたいと思います。

神原
アスリートとして活躍したなかで、海外選手との交流もおありだったんですよね。

為末
はい。選手時代はライバル同士でも、引退した後は、競技の苦しみや国を背負うことの重さを同じように味わってきた仲間として、非常に強い友情が生まれます。そこで得た人脈をもっと生かせる場はあると思うのです。ただ私自身は政治のことはよく分からないので、ビジネスや社会起業の世界で人脈を生かしていきたいと思います。

神原
代表理事を務めていらっしゃる「一般社団法人アスリートソサエティ」の活動も新しい挑戦の一つですね。

為末
アスリートソサエティの目的の一つは、アスリートのセカンドキャリア支援です。アスリートは目の前の結果に集中するあまり、視野が短期的になりがちです。将来のことをきちんと考えず、引退して数年で経済的な危機を迎える人も多いのです。現役時代から引退後の人生設計について考えてもらうため、勉強会をしたり、地域のスポーツチームに指導者を派遣したりしています。

神原
自分のライフプランを自分で立てる能力は、アスリートだけでなく日本人全般に足りないことかもしれませんね。

為末
おっしゃる通りです! アスリートのセカンドキャリア問題を考えると、社会の問題が浮き出てきます。一流アスリートの多くは、子供の頃に親の勧めに従うまま、自分の意志とは関係なくそのスポーツを始めています。そしてそのままアスリート人生を歩むことになった。だから引退後に初めて、自分で人生の大きな選択をすることになり、迷ってしまうのです。いい大学を出ていい会社に入ったエリート会社員が、定年退職後に「これからどうしよう……」と大きな喪失感を味わうのと似ています。そういった問題についても分析していくと面白いと思います。

大きな流れのなかで、得意分野に投資をする

神原
投資を始めたきっかけや、そこで学んだことは?

為末
プロになって、自分で食べていかなければならないときに、「経済や資産運用に関する勉強もしておいたほうがいいだろう」と思ったのがきっかけでした。そして勉強してみたところ、「お金をどのようなポジションで持っていても投資をしていることには変わりないんだ」と気づきました。つまり現預金で持つか、不動産にするか、有価証券にするかの違いがあるだけ。そしてどのポジションでも100%安全ではない。であればどこに投資するのが比較的安全かつ有利か、よく考えるようになりました。社会との接点を持つという意味でも、株などに投資することはいいことだと思います。

神原
今はどのような分野に投資していますか?

為末
友人と共同で「R.project」という合宿施設運営の事業を始めたので、そこにほとんどのお金を投じています。かつては外為などのよく分からない分野について、自分では分かると信じ込んで投資していました。現在はもっと長い時間軸のなかでマクロ的な視点で見て、自分の分かる領域に絞って投資していこうと考え方が変わりました。
たとえば日本では高齢化が進んで医療費が拡大するという流れは、確実に起こることが分かっています。また1990年代以前と比べると、体罰が禁止されるようになったり、ワークライフバランスという言葉が出てきたりと、個人の人権が尊重される時代になってきました。そういう時代の移り変わりのなかで、これからもニーズや価値が高まっていく分野が「健康」や「スポーツ」だと考えられるのです! そこにお金も時間も集中的に投資していこうということです。

神原
為末さんは陸上界きっての読書家としても知られますが、お勧めの本がありましたら教えてください。

為末
最近読んだ本のなかでは『ワーク・シフト』(リンダ・グラットン著/プレジデント社)がお勧めです。2025年に、社会や働き方はどうなるかを予測した本です。引退後に読み、「これから変わっていく社会のなかで、自分はどう対処していけばいいのだろうかと考えるきっかけになりました。「人生の限られた時間を使ってどんな仕事に取り組み、どう価値を生み出すか といったことも書いてあり、とても参考になりますよ!

神原
本日は貴重なお話をありがとうございました。

(本記事は、2013年05月10日にファイナンシャルマガジンに掲載されたものを再掲載しています)

為末 大さん

元プロ陸上選手

1978年広島県生まれ。男子400mハードル日本記録保持者。法政大学卒業。五日市中学で本格的に陸上競技を始め、広島皆実高校3年で総体400m優勝。400mハードルは高校3年のとき、広島国体で初挑戦して優勝。大学から400mハードルに専念。2001年エドモントン世界選手権で、トラック種目では日本人初の銅メダルを獲得。2005年ヘルシンキ世界選手権で2度目の銅メダルを獲得。シドニー、アテネ、北京、3大会連続オリンピック出場。プロアスリートとして陸上競技に取り組む一方、陸上競技の普及活動も精力的に行う。2010年8月、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリートソサエティ」を立ち上げる。2012年6月、日本陸上競技選手権大会を終え、現役引退を表明。7月「爲末大学」を開校、新たな活動をスタートさせている。 主な著書に『日本人の足を速くする』(新潮新書)、『為末大 走りの極意』(ベースボールマガジン社)、『走る哲学』(扶桑社新書)など。

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