<DJ Nobby> 小難しい経済を、軽快なエンターテインメントに。 「好き」と「得意」の掛け合わせで築いた唯一無二のキャリア。

インタビュー

音声プラットフォームVoicyで、経済ニュースを毎朝届けるDJ Nobbyさん。6,6万人ものフォロワーに支持される理由は、小難しい経済ニュースを独自の視点で丁寧に解釈し、まるでエンターテイメントのように躍動感を持って伝えているから。経済を誰よりも面白くわかりやすく伝えるDJ Nobbyさんは、ここに至るまでどのようなキャリアを歩んで来たのでしょうか。

深夜ラジオに夢中になった少年時代。

編集部:「金融経済」と「DJ」という、異色のかけ合わせで大活躍中のDJ Nobbyさん。キャリアの原点はどこにあるのでしょう?

DJ Nobby:遡れば小学校高学年の頃、ラジオを聴き始めたのが全ての始まりです。テレビよりインパクトはないものの、音だけで想像が掻き立てられるラジオの世界に魅了されました。特に好きだったのは、地元神戸のFM局で深夜12時からオンエアされていた、バーを舞台にしたラジオドラマ。自分の部屋で一人ラジカセに向かい、飲んだこともないお酒の持つ独特な世界に想像を巡らせる……、そんな少年時代でした。どんどんラジオの世界にはまり、やがて自分も伝える側にいきたいと考えるようになりました。

編集部:ラジオに夢中になった時期って、ありますよね。

DJ Nobby:そうそう。それで中学の時点ですでに「伝え手になりたい」という気持ちがあったので、部活は放送部を志望したんです。でも親から「今、放送部に入ると、あなたはそればかりになるでしょ?」と反対され、なくなく断念。ただ伝え手になりたい気持ちはどんどん熟成し、結局高校入学と同時に、念願の放送部に入部。しかもその頃、偶然にも、地元にコミュニティFMが開局することになり、これがDJとしてのキャリアのスタートにおいて、大きなターニングポイントとなったんです。

編集部:地元のコミュニティFMとは、どんな関わりがあったんですか?

DJ Nobby:兵庫県の西宮市にできたコミュニティFMだったんですが、当時私は「きっと局側も、地元の高校生の生の声が聞きたいだろう」と勝手に良いように解釈して、アポなし、プレゼン資料も何もなしで、突撃で売り込みにいったんです。「我こそがラジオの伝え手にふさわしい!」その想いの強さたるもの!(笑)
ただ幸運なことに、たまたまその時、対応してくださった方が、私のアイディアを面白がってくださり、高校生ながらもオリジナル番組を持つチャンスをくださったんです。なんでもやってみるものですね。

今、私が毎週金曜日にオンエアしている『DJ Nobby’s Tokyo LIVE!!』という番組は、実はその時のプロデューサーさんと一緒にやっている番組です。純粋無垢なアタックから、20年以上ものつきあいが始まるとは。何がどうなるか、わからないものですね。

全滅だったアナウンサー試験。かわりに選んだのが金融業界だった。

編集部:「金融経済」というキャリアは、どこからスタートするんですか?

DJ Nobby:大学を卒業してシティバンクに入行したところからです。でも、本音を言うと、アナウンサーになりたかった。高校から始めたラジオDJの仕事は、大学時代もずっと続けていましたし、アナウンサー試験については受験できるところは全て受験しました。アナウンサーの採用試験って、一般企業より面接の時期が早いんですよね。だから試験対策として、さらに試験が早く行われるパイロットの試験も練習で受けたほど。でも、そこまで準備したけれど、結果は全滅でした。就職氷河期だったこともあり、手にした内定は2社。最終的には初任給の良さで、金融業界を選びました。

編集部:DJ業はどうしたんですか?

DJ Nobby:副業として続けました。お金を稼ぐ手段としての本業と、自己実現のための副業。今でこそ市民権を得つつある「パラレルキャリア」ですが、私はこれを18年ほど前から既にやっていたわけです。

本業は、金融業界ど真ん中。約18年の間に、4つの会社でキャリアを磨きました。まずは、外資系銀行であるシティバンク。ここではリテール営業、外国為替ディーラー、信用リスク管理などを担当し、その後、東京金融取引所に転職。取引所FX「くりっく365」の市場運営や上場企画など、時差と戦いながら、がっつり働きましたね。その後、外資系大手保険会社であるプルデンシャル生命、メットライフ生命に移り、コンプライアンスリスク分析の領域で、キャリアの幅を広げました。