2018.10.1
マクドナルド創業者がマクドナルドと「出会うまで」と「出会ってから」
彼が52歳でマクドナルドを設立するまでには紆余曲折がありました。
15歳の時には第一次世界大戦の真っ只中で、衛生隊として参戦しました。終戦後には職を失いピアニストや紙製カップのセールスマンとして働き、その後もジャズミュージックの演奏家、ジャズバンドのメンバーとして何とか生計を立てながら転職を繰り返しました。
なぜ、ここまで彼は職を転々としたのでしょうか?
それはリスクを冒してでも成功を手にしたかったからです。
それはリスクを冒してでも成功を手にしたかったからです。
1941年になると今度はミルクセーキマシンのセールスマンとしてアメリカ国内を行商しました。そんな旅の中、昼食で立ち寄ったマクドナルド兄弟が切り盛りするファストフード店が現在のマクドナルドの前身だったのです。
彼はそのファストフード店の効率化された調理システムに惚れ込み、そして何度兄弟から断られてもマクドナルド経営への参入を提案し続けました。
彼はその14年後、マクドナルドとしては初のフランチャイズを出店しました。
彼はその14年後、マクドナルドとしては初のフランチャイズを出店しました。
それからレイはマクドナルドを会社として業種変更。兄弟からマクドナルドを買収し株式公開。初のフランチャイズ出店から30年後には世界34カ国を股にかけ8300店舗の展開に至ったのです。
15歳で衛生兵として戦場を駆け回った青年は、その67年後にはついに生涯5億ドルの富を築く億万長者となってしまいました。
マクドナルド創業者レイ・クロックから学ぶ人生の必勝法
レイ・クロックが生涯5億ドルもの富を築くことができたのは、その「リスク・テイカー」としての生き方があったからです。
「リスク・テイカー」とは、成功のためにどんどんリスクを取っていくことができる人のことです。
多くの人が「安定」や「安全」を望み、リスクを取ることができません。
日本ではリスクを取ることを恐れてレイのように転職を繰り返すことはおろか、一度もできない人は大勢います。
マジョリティー側に付くことでその場の安心を手に入れることはできても、圧倒的な成功や納得する自分自身を手に入れることはできません。それを身をもって示したのがレイの生き方です。
レイ・クロックがもし兵隊から紙コップのセールスマンに就職しなかったら。もし紙コップのセールスマンに満足してジャズ演奏家にならなかったら。もしジャズメンバーのとしての稼ぎで納得してミルクセーキマシンの行商を行わなかったら。
彼はマクドナルドという「心から惚れ込む存在」に出会うことはできませんでした。
どれくらい今の状態に満足している人がいるでしょうか。
どれくらい今の状態を我慢して諦めている人がいるでしょうか。
どれくらい今の状態を我慢して諦めている人がいるでしょうか。
レイ・クロックは「現状に満足し、心から望んでいるものを初めから諦める」という生き方をしませんでした。
そして彼は私達に、リスクを取り続けながら現状を変えようとすることで心から望むものを掴み取ることができるということを教えてくれました。
これこそが人生における「リスク・テイカー」の成功法なのです。
私たちはマクドナルド創業者の生き方からリスク・テイカーの生き方を学んだ
常に大きなリスクを取り続けるのは難しいことです。
しかし小さなことにお金や時間を費やすという投資を行うことは誰でもできることではないでしょうか。
それがリスクを取るということなのです。
今、気になるものを「お金」や「時間」を理由に諦めている人は身銭を切って自身に投資をしてみてはいかがでしょうか。