引退した今思う「仲間」と「家族」の大切さ
STAGE編集部:自身のキャリアを振り返って、成功できた秘訣は?
村上:私にとっては「浅田真央」という存在がいたからだと思います。小さい頃から真央ちゃんの背中を見て育ってきましたが、本当に不思議なくらい淡々と練習をするんですよ。他の選手や私は、ちょっとサボろうとしてしまうのですがそういうのが一切ないんです。だから「ダメダメ、真央ちゃんが頑張っているから私も頑張らなきゃ!」と思えていたので、フィギュアスケーターとしての私がいるのはそのおかげだと思います。
あとは、真央ちゃんが海外で練習するようになってからは、ずっと昌磨(宇野昌磨選手)と一緒に練習していました。2人でプログラムのジャンプを頭から順に挑戦して、失敗したらまた振り出し。どっちが早く終わるか競争したり。そんな練習をよく一緒にしていました。
一時期はケンカして全くしゃべらない時期もあったのですが、それを経て今は「頑張ったね」とか、「あれは悔しかった」とか昌磨の試合のことも話してくれたり、スケートに関係のないプライベートの話もしたりしますね。
STAGE編集部:経済面を含め、ご両親のサポートについてはどう思いますか?
村上:私がスケートを始めた頃から、母は付きっきりで練習を見てくれていたのですが、プロになりなさいとは一切言われなかったし、お金の心配もしないように管理してくれていました。なので引退してアイスショーに出るようになって初めて衣装代を知って「嫌だ、こんなにかかっていたの?」と思って、今は抑えられるところは抑えるようにもしています。市販の衣装を買って、移動中にストーンを付けたりしているときもあります。
レッスン代は未だに分からないですね。もし自分だったらと思うと、とてもじゃないけどできないようなサポートをしてもらったと思うので、その心は受け継いでいきたいです。
そして父は、いつも見守ってくれる存在です。私はどちらかというとパパっ子で、練習の送り迎えの車の中の、別に何をしゃべるわけではない2人だけのリラックスした時間と空間が大好きでした。それに、スケートをしていると家族の時間がなかなかとれなくなってしまうこともあるんです。ご飯を食べる時間も違うし、夜まで練習もあるので。
私の場合は1月1日以外毎日滑っていたので家族全員で旅行に行った記憶もありません。それも許してくれた父には感謝しています。
STAGE編集部:そんな家族が揃った、最後の試合。
村上:最後の全日本は母も、父も、姉もみんな来てくれました。そこで父が泣いている姿を見てすごく驚きましたね。あとで会場に来てくれた友達に聞いたのですが、母も泣いていたそうです。お互いケンカして泣くことはあるのですが、感動して泣く姿は見たことが無かったので、これもびっくりしました。そのことを本人に聞いたら「いや、泣いてないよ」と言っていましたれけど(笑)。
第二の人生に挑戦中。いま大切にしている事。
STAGE編集部:バラエティ番組などに活躍の場を広げていますが、今感じている事は?
村上:スケートとは違う面白さを感じています。どちらも失敗するのは怖いですが、4分間のために何か月も準備してきて一発勝負、ミスしたら終わりというスケートの方が苦しいです。逆に、テレビはチャレンジをすれば、失敗してもそれが逆に良かったりすることもあるので、とにかく「一回やってみる」ということをすごく大切にしています。
何か新しい分野に興味を持ったとき、わくわくする一方で怖い部分もあると思うのですが、やってみないと本当に自分に合っているか、合っていないか分からないと思うのです。だから、とにかく飛び込む。そうしたら意外と自然に入り込んでいけたり、今しかできないことだったりするので、やりたいと思ったら絶対やるべきだと思います。
そしてやっぱり「あきらめない」ということ。自分自身オリンピックシーズンに、絶対に無理だと思われた中で最後まで信じて頑張ったらこそ切符をつかむことができたので、この言葉は本当に大切にしています。
村上佳菜子さんにとってお金とは?
村上:「お金とは、自分を高める材料」。
STAGE編集部:「お金とは、自分を高める材料」。その心は?
村上:まだお金の管理をはじめて2年目なので、探り探り「ここはお金をかけるべきなんだ」というのを勉強している最中ですが、将来自分が新しいことに挑戦したくなった時、それができない環境にいないようにしようと意識しています。
「お金とは、自分を高める材料。(村上佳菜子)」