「しかし、ここがお金持ちと貧乏人と分ける分水嶺だ」第9章[第17話]

元銀行員の男が起業をして、一時は成功の夢をつかみかけたが失敗する。男はなぜ自分が失敗したのか、その理由を、ジョーカーと名乗る怪しげな老人から教わっていく。”ファイナンシャルアカデミー代表”泉正人が贈る、お金と人間の再生の物語。

2017.10.20
 老人は深く息を吸うと、一気に話し始めた。
「実際はごくごく当たり前のことなんだ。借りる人がいれば、貸す人がいる。支払う人間がいれば、もらう人間がいる。お金が動くときは必ず裏と表、ふたつの面がある。

支払う↔もらう

借りる↔貸す

施す↔恵まれる

 お金に縁遠い人間は、このふたつの意味をすぐに忘れてしまうんだ。しかし、このふたつの意味を正確にとらえれば、借金で心悩ますことはないだろう。でも、正確にとらえられないと、火傷を負ってしまうこともある。
「君はなぜ借金が嫌いなんだい?」
「結局のところ、自分のお金ではないことが一番嫌ですね。金利を支払う必要があるということは、いつかは返さなくてはいけない 。ずっと、紐付きのお金を使っているという感覚です」
「ほほう、紐付きのお金かね、面白いことを言うね。それでは、その紐の所有者は誰だね?」
「それはお金を貸してくれた人間、もし銀行からお金を借りていたら、銀行が真の所有者といったところでしょうか?」
「そうかね。それでは銀行が持っているお金は、すべて銀行のモノかね? 言い換えるなら、銀行のお金は誰のモノなんだ?」
「…………誰でしょう? ん…預金者ですか?」
 僕はその仕組みの不思議さに気づき始めていた。
「君は借金をすることを嫌がるのなら、きっと人に貸すことも嫌だろう。しかし、そんな君でもお金が余ったら、銀行にお金を預けるはずだ。銀行は預けられたら、金利をつけて君にお金を返さなくてはいけない。預金とは、銀行にとっての借金なんだ。銀行は預けられたお金を事業者に貸し付けをして、金利をもらい、その一部を預金者の君に支払う」
僕は以前銀行に勤めながら、その仕組みについて真剣に考えたことはなかった。
「少し混乱しますね。僕は金利を払いながら、受け取る立場になる可能性もある」
 僕は自分の頭の中に大きな円を描いて、自分の言ってることを反芻した。
「まあ、その通りだな。頭が混乱する理由は、君がお金を所有できるものだと考えているからだ。

お金に、所有者は存在しない。

 世界中に回ってるお金は、今という瞬間だけ、その人物の手元にあるということだ。本来、所有できないものを所有しようとするから、無理が生じるんだ。お金の使い方を学ばなければいけない理由はそこにある。お金持ちは、お金を所有できないことをわかっているから、その使い方は一定のルールに則っている。
 たとえば、Aという男がBという男にお金を貸したとしよう。Bは金利をAに払わなければいけないが、その借りたお金をCという男にもっと高利で貸し出した場合は、Bにとって、その金利の差額が自分の利益になる」
「銀行がやっている魔法の錬金術ですね」
「実際、借金を嫌がる理由らしい理由は、倫理的なものだろう。必要になるのは、Cという男の信用度を見極める力だけだ。
  所有できない“お金”を使うために、我々は“信用”と同じくらい、“価値”についても学ばなければいけない。
 Bが銀行ではなく個人の場合、こういう場合もあるだろう。Cにお金を貸すのではなく、Dというモノを買う」
「はい、個人ならそういう場合の方が多い気がします。Dは家や車や電化製品なんでもいいですよね」
「このシチュエーションは、Cに高利で貸しているよりもずっと難しい。しかし、この選択がお金持ちと貧乏人とを分ける分水嶺だ。
 お金持ちはDというモノに、Cと同じように金利分の働きを求める。つまり買った後に値上がりすることを求めるんだ。しかし、貧乏人は、価値を考えずにお金をモノに替え、それを所有するということだけにこだわる。そして、モノの価格にこだわらない。だって所有することが目的だからね。
 君は価値と価格の関係性について、どこまで理解してる?」
「価値と価格ですか? あまり考えたことはありませんが、価値とは、価値観というくらいですから、人それぞれの感覚的なもので、価格とは、絶対のものですか?」
「ははは、実際はその逆だ。価格こそが変わる。
価値は、大きく分けてふたつある。使用価値と交換価値だ。使用価値とは個人的に思い入れの深いモノだったり、好きな人からのプレゼントだったり、君が言う個人の価値観に沿ったモノだ。
 私が言う価値とは交換価値だ.マーケットに出したとき、どういう価格がつくかはわからない。しかし、お金持ちと呼ばれる人種は、この価値を見分ける目がある。この目こそが、お金持ちと貧乏人を分ける能力になる。
 今は価格が安くても、価値さえちゃんとあれば、いつか価格は上がる。
 お金の歴史の再確認だよ。信用があれば扱えるお金のサイズが大きくなると話したろう。価値を見極める力とは、相手やモノを信用できるかどうかを見極める力だ。つまり、これも表と裏だ。信用されることも大切だが、相手やモノを信用できるかどうか見極める力も大切なんだ。

投資にみるお金のかけ方

 借金と投資とはよく似ている。借金といってもお金を貸す方だがね。
 借金は契約に基づいて具体的なリターン額が決まっているものを指し、投資とは、リターン額の上限がないものを指す。
 投資をするとき、私は何を見ると思う?
 事業の将来性? それとも利回りの大きいもの?
 もちろんそれも大事だが、一番大事なのは信用だ。信用がお金を生むからね。
 それでは、金持ちがどこを見て信用するかというと、投資対象の今までの経歴になる。
 いわゆる与信というものだ。
 君が銀行に勤めていたとき、君は何を見ていた?」
「保証人と担保価値です。そのふたつに何が用意できるかで、その人の社会的な位置づけはおおよそ類推できました。その人の返済能力だけじゃなく、保証人の社会的地位まで見ていましたね」
「私が見るのはあくまで、投資対象自身だ。事業の将来性やリターンのことを考えて投資はするが、それはごくごく副次的要素にすぎない。
 その人間の過去、いかに計画をたて、実行して、結果を出してきたか。
 ここで間違えてはいけないのは、たとえ失敗していたとしてもいいんだ。自分でしっかりと考え、実行することが、信用につながることを忘れてはいけない。そしてなおかつ、結果が出ていれば申し分ない」
「それなら、失敗した僕みたいな人間にでも、ジョーカーさんはまた投資をしてくれるんですか?」
「それは、この先の話次第だ。続きを話しなさい」
(毎週金曜、14時更新)
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