このころの日本は嘉永六年(1853年)のペリー来航以後、開国の賛否と将軍継嗣問題で混乱していて、英明なリーダーであった井伊直弼はその難局に死をも辞さない覚悟で臨みました。安政五年(1858年)、幕府からの「御用召(大老職就任の出頭命令」をうけた井伊直弼は側近の宇津木景福に「時節といい、大任といい、恐れ入る」とその覚悟を披瀝しています。
大老職に就任した井伊直弼は、剛毅果断に開国を断行し、また「安政の大獄」で尊攘運動派を大粛清しました。これはある意味「国家大厄難」にあった日本を救うための不可避な選択であったのかも知れません。
井伊直弼の生き様から学ぶべきこと
井伊直弼の前半生は世捨て人の立場でしたが、置かれた環境や境遇のなかで世捨て人として自己否定の烙印を押すことなく、日々を自然体で生きていきました。
あるがままにして作為しない日々の繰り返しが井伊直弼の人をつくり、人間としての幅を広げていったのです。
あるがままにして作為しない日々の繰り返しが井伊直弼の人をつくり、人間としての幅を広げていったのです。
井伊直弼の生き様は、私たち市井人にとっても「自己修養(学問を修め精神を磨き、人格を高める)」の大切さを教えてくれます。
【参考文献】
吉田常吉「井伊直弼」(吉川弘文館)、山口宗之「井伊直弼」(ペリカン社)、母利美和「井伊直弼」(吉川弘文館)、大久保治男「埋木舎と井伊直弼」(サンライズ出版)
吉田常吉「井伊直弼」(吉川弘文館)、山口宗之「井伊直弼」(ペリカン社)、母利美和「井伊直弼」(吉川弘文館)、大久保治男「埋木舎と井伊直弼」(サンライズ出版)