2017年12月20日 更新

〈爲永清嗣〉視覚でも美味しいものを味わって欲しい ~爲永清嗣が語るアートの魅力と日本人観

1969年日本で最初の西洋絵画の巨匠を扱う画廊として誕生し、40年以上の歴史を持つギャルリーためなが。名匠と呼ばれる作家の名品の数々を、国内有数の美術館や個人コレクターの方々に納める一方、才能ある画家を育成、世に送り出し、その活動はフランス美術界を中心に、現在はアメリカ、アジアなど世界各地へと拡大しています。国際人として育った爲永さんの環境やこれまでの軌跡、日本観などについてお話をお聞きしました。

2015.3.28

自発的に選び、得て来た経験や環境を生かして家業を承継

神原
爲永さんは最初、ギャラリー経営とは関係のないお仕事をされていらっしゃったのですね。

爲永
ギャルリーためながは私で2代目ですが、幼い頃から父に後を継がせる気はないと言われて育ったので大学卒業後、美術とは全く縁のない日本興業銀行を就職先に選びました。但し小さい頃から旅行に行くと先ず訪ねる先は美術館という環境で育っていたのと、同様に毎日を美術品に囲まれて過ごしているので金融よりは美術に詳しい銀行員だったかもしれません。

神原
興銀に入られて、結局アートの世界に戻って来られたわけですが、決断のきっかけはなんだったのでしょうか?

爲永
自分で仕事を始めた場合、大抵の業種では大商社、大銀行には到底太刀打ち出来ない事は興銀にいて充分理解していたので先ず大手が参入しないという点が重要でした。絵画の場合基本的には作家が制作する作品を扱うので当然大量生産は出来ない点、美術品としての価値も単純な技術に裏付けされるものではないという点等から大企業が参入しても採算の合わない業種であることは明白なのでここでなら一番を目指せると思いました。何よりも生まれ育った環境が最大限生かせる上に素直に美術が好きだったという事で決断しました。

名品だけでなく、才能ある画家を世に送り出すのも仕事

神原
画廊経営というお仕事について教えてください。

爲永
単純にいうと美術品の売買で、深い部分でいうと信用商売ですが如何に素晴らしい作品を多く画廊に揃えられるかという事が重要です。お客様は皆さんそれぞれの分野で成功された方達で、銀行に残っていれば頭取にでもならないと直接お会いする機会がないような方達と若い頃からお会いする機会が多くあったのもこの仕事の特異な面かと思います。

神原
ギャルリーためながは、インターナショナルな価値のある数々の作品を日本に紹介して来たという点で、日本人が欧米の美術品に接することができる機会を提供してきたと思うのですが、爲永さん自身が、日本をはじめ、世界中の若手アーティストを育成・紹介していくということはあるのでしょうか。

爲永
実はそれが、私にとって最も重要な仕事だと思っています。既に名品とされている作品を紹介することはとても大切なことですが、それは良い作品を判断出来て、その作品を見つけて来る先を知っていれば後はそれだけの価値を保障出来る信用が私にあるかないかの問題です。その信用については長年大きな店を一等地に構えていることで補える部分は多いと思います。一方、将来に向けて価値が未定な作家の作品を世に出すにあたって信用は勿論のことですが展覧会を開いたり、画集を作成したりしながら世界のコレクター達に評価される環境をいかに設けるかということです。アーティストにとっては国際的な評価は非常に意味のあることなので我々にとって最もやりがいのある仕事だと感じています。何より大事なのはその才能を見つけて伸ばすことでしょう。

国際的に通用する美術品は、為替の影響を受けない稀な“金銭資産”だが・・・。

神原
金融のバックグラウンドをお持ちの爲永さんにとって、「資産」としての美術品については、どのようにお考えになっているのですか?

爲永
国際的な美術品は為替ヘッジがされているという点と移動が可能な資産という点で海外では多くの富裕層の方の資産ポートフォリオの一部を担っています。
為替が大きく変動する昨今を例にとるとユーロの金融資産やユーロ圏の不動産資産を保有している日本の方達にとってはユーロでの価値が上がっていても現実には1ユーロ/170円の時に比べれば為替で40%価値が下がっているわけです。その点美術品はユーロ圏が弱ければニューヨークでもロンドンでもブラジルでも日本でも売却出来、為替の下落の影響を受けません。今は超円高ですが将来仮に日本経済が破綻して円の価値が暴落した場合でも持ち運びの可能な美術品はパリに送って売却すればユーロで受け取れるわけです。
良い例として’97年のアジア通貨危機の際に私のインドネシアのお客様達の資産の中で現金はもとよりルピア建ての株式、不動産他全ての国内資産が対ドルで6分の1位(?)に値下がりしましたが唯一私から購入していた美術品だけが危機前の価値を保てたと喜ばれました。
但しこの際一番大事な点はその作品が国際的な美術市場で評価されているか否かによって全く異なります。あくまでも日本国内だけで評価されている作品は日本円が暴落した際には同様に暴落するので意味がありません。

神原
例えば金融の世界で急にお金持ちになった人が出てきたり、大富豪が凋落していったり、お金持ちと一口に言っても時代によって変化があると思います。このことは美術界に与える影響や変化はありますか?

爲永
最近金融ビジネスや新興国で突然お金持ちになった方達の多くは美術に囲まれずに育ってきているせいか美術品に対して作品の「質を感じとる」というよりも「有名だから」、今買っておくと将来価値が上がるから」という類の観点で購入する方も非常に多い気がします。
そこを逆手にとって私的には全く美術的価値のない作品を数回に亘ってオークションに出品した上で数千万円、数億円という価格帯まで自らせり上げている輩が目に付きます。その後で美術に疎い方達にそのオークション結果を踏まえて法外な価格を信じ込ませるという錬金術というか詐欺的な商法が現代美術を中心に横行していることは嘆かわしいことです。
更にはいつか暴落すると言われている現代美術市場で将来騙された方達が「美術品なんて、いかがわしい」という偏見を持ってしまい、結果として美術離れが起こってしまう。そうなると大変残念なことだと危惧しています。

いつの友人とも直に会い、築き上げる爲永さんの“人的資産”

神原
爲永さんは中学生の多感な時期に自分の意思でスイスに留学して、高校ではアメリカで勉強をされています。留学先では色々な国のお友達ができたと思うのですが、その方たちとのお付き合いは今も続いているのでしょうか?

爲永
留学で、自分を確立していくということを学びました。自己主張をしないと生きていけない、誰も手を差し伸べてくれないということを非常に感じました。その雰囲気の中で、自分は毎日闘いながら自分の位置を見つけていったという感じです。周囲の人にとってみれば、中国と日本、香港と東京の違いも分からないというような場所・時代でしたので、私を見て「日本人とはあのような人だ」「やっぱり日本人なんてダメだね」とは絶対に言われたくなかった。私は日本を代表しているという意識を常に持っていました。ですから、自分の部屋に、いつも大きな日の丸を貼っていました(笑)。多分、当時は皆そうだったのではないでしょうか。

寝食を共にした友人は特別ですので世界中を仕事で飛び回る際に機会があれば当時の友人達と会っています。卒業以来会っていなかった友人と30年振りでも会えば抱き合って再会を喜べるのは朝起きてから寝るまでずっと一緒に勉強し、遊んだ仲だからこそと思います。
特にスイスの学校は国際色豊かだったため世界中に友人が散らばっており最近もアブダビやバンコクで旧友に会って楽しめました。現在は私のルームメイトだった友人の息子がスイスで私の息子のルームメイトになったり、同級生だった友人の御嬢さんがやはりアメリカで私の娘の同級生だったりと、二世代に亘って母校を楽しんでいる感もあります。

視覚の感性を磨いて、深まりのある人生を送って欲しい

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