2017年12月21日 更新

〈奥山泰全〉赤字会社を1ヶ月で黒字化し上場させた社長の「Don't stop」

赤字続きだった会社を、社長就任の翌月には黒字化させ、さらに上場へと導いた奥山泰全氏。外貨取引サービスを提供するマネーパートナーズグループの代表取締役社長です。人生を振り返り、企業を成長させ続ける秘訣や、「カスタマーファースト」「お金」について語っていただきました。

外貨取引サービスを提供するマネーパートナーズグループの代表取締役社長、奥山泰全氏にビジネス成功の秘訣をお聞きします。まずは、同社社長就任以前のキャリアから、振り返っていただきました。

■お金って、仕事って? 悩んだ末に行き着いたのが「投資」

STAGE編集部:金融に興味を持たれたのは、いつごろからですか?
浪人生時代に日本史を専攻していたんですが、直近の近代史が好きだったんです。たった1人で鉄道王国を作った東急の五島昇さん、西武鉄道や西武デパートを作った堤康次郎さん。当時、まったく知識がないなかで大成功した人たちを知って「すごい」と冠名を受けました。

特に影響を受けたのが、国際興業グループの創設者、小佐野賢治さんの言葉です。「貧乏人が金持ちになるための日本で数少ない手段のひとつは資本の仕組みを理解することだ」という彼の言葉に触れて、そうか、日本は資本主義だから資本のことをわかっていないと、成功できないんだと思ったのが金融に興味を持ったきっかけです。
当時僕は、卒業したら8割くらいが就職していくような田舎の高校に通っていました。ビリから数えたほうが早いような成績でしたが、1日22時間、死ぬほど勉強して、2年がかりで慶応義塾大学に入ったんです。

入学したまではいいのですが、慶応にはお坊ちゃまやお嬢ちゃまが多くて、持つ者と持たざる者の差を露骨に感じました。あるとき、友だちから蕎麦屋に「車でいこう」って誘われたんです。それが、親父にプレゼントされという1,000万円以上する外車で。普段、僕は牛丼300円とかで昼飯を済ませてたんです。周りと同じようにキャンパスライフを送っていたら一生勝てない。スタートダッシュするしかないと思って、大学1年の夏前に、ビジネスをはじめました。

いろんなことをしましたね。モデルエージェンシー、下着メーカーの社長、日本テレコムの営業代理店、化粧品販売やビジネススクール。ソニープラザにテディベアを卸していたこともあります。
STAGE編集部:その後、個人投資家となられるわけですが、投資を始めるきっかけは、どのようなものだったのでしょうか?
ビジネスをする中で、お金って、仕事って何だろうと悩んだ時期があったんです。原価が3万円でも3万円でやると儲からないですよね。自分がお金持ちになるには、4〜5万円で売らなければならない。でも、「3万円で仕入れられるなら3万円で売ってあげればいいじゃん」っていう思いをぬぐい去れなくて。

そんなときに、投資なら、どれだけお金を稼いでも後ろめたくないと思ったんです。買う人も売る人も「この株はこれから上がる、いや、下がる」と一生懸命考えた末に意思決定をするわけです。あなたも僕もリスクとっていた、という点でフェア。だから、まだ大学生でしたが、投資家としての道を極めたいと思いました。

僕の投資の師匠は、石田衣良さんの小説「波うえの魔術師」に出てくるじいさんのモデルとなった林輝太郎さんです。彼に習うことで、投資ってシンプルなんだと気付きました。安く買って高く売り、高く売って安く買えばいい。海でいうと、波がどのくらい高くなるか低くなるか、どんな波が押し寄せるかは分からない。でも、自分の泳ぎ方次第なんです。

■求められることに応える姿勢が、マネーパートナーズを上場に導いた

STAGE編集部:どのような経緯で個人投資家から、マネーパートナーズの社長になられたのですか?
ある金融機関で、システムを直すのを手伝ったことがきっかけです。直し終わったら、社長に「奥山さん、何かやりたいことありますか」と聞かれて。そこで日経平均のオンライン取引システムを作ることになったんです。それが出来上がったのが2002年。SBI証券(当時のイー・トレード証券)やマネックス証券からそのシステムを使わせてほしいという依頼をいただいて、貸し始めました。 当時は、日経平均を取引する個人投資家のほぼ100%が僕の作ったシステムから発注していましたね。

2005年にはその会社が上場したので、僕は個人投資家に戻ろうと思っていたのですが、「業績が傾いている会社があるから面倒を見てもらえないか」と声をかけていただいて。それがマネーパートナーズです。2006年7月に顧問に着任して、1〜2ヵ月で黒字化しました。そしたら、次は「上場させてほしい」と。お客さんのためにできることをしっかり取り組める環境を作ってもらえるなら受ける、という条件で2006年8月に社長になりました。それから10ヵ月で上場させ、10年が経ちます。
STAGE編集部:どうやって、1〜2ヵ月という短期間で黒字に戻したのですか?
売上は1億円なのに、1億5000万円の経費がかかっていたんです。そのうちほとんどが広告、つまり外に出ているお金でした。1億円の売上は、自社で取引してくれているお客さんたちが作ってくれているのに、新しいお客さんのために広告を打って赤字になっている。ここに矛盾を感じて、広告宣伝費をカットしたんですよ。反対されても、とにかくゼロにした。すると1億円が残るわけです。

さらに、FX業界の国内大手では初めて手数料をゼロにしました。かなり議論はしましたが、広告費で5000万円の赤字を出すぐらいなら、3000万円をお客さんに還元するべきだと。すると、翌月からもどんどん経常利益が出て、半年で10億円。既存のお客さんたちの声に応えようという姿勢が、お客さんに響いたんだと思います。
24 件

関連する記事 こんな記事も人気です♪

学生時代に起業したグルメアプリ事業、利益を上げながら社会貢献するワケ〈城宝薫〉

学生時代に起業したグルメアプリ事業、利益を上げながら社会貢献するワケ〈城宝薫〉

海外で目にした開発途上国の子どもたちと、米国のNPO団体に触発され、社会貢献できるグルメアプリ事業を立ち上げたテーブルクロス社長の城宝薫さん。起業当時、女子大生社長だった城宝さんはなぜ、途上国を支援する事業を始めたのでしょうか。
〈草刈民代〉キャリア35年のバレエを完全引退。女優道をまい進する彼女が見出した試行錯誤の人生とは…

〈草刈民代〉キャリア35年のバレエを完全引退。女優道をまい進する彼女が見出した試行錯誤の人生とは…

8歳の頃にバレエを習い始め、10代半ばでプロの道へ。日本で最も歴史ある全国舞踊コンクールのバレエ部門で第1位になるなど、まさに日本を代表するバレリーナとなった草刈さん。1996年、映画『Shall weダンス?』のヒロインに抜擢されると女優としても有名に。日本中に空前の社交ダンスブームを巻き起こしました。その後もバレエ界の第一線で活躍したのちに43歳で引退。新たなキャリアを築き上げています。常に自分を追い込み、磨き続けてきた彼女の人生観とは一体?
お祭りで日本を元気に、元美大生が挑む地方創生とは〈加藤優子〉

お祭りで日本を元気に、元美大生が挑む地方創生とは〈加藤優子〉

お祭り好きが高じ、メーカー勤めからお祭りの企画会社を起業した元美大生の加藤優子さん。ツアー企画からスタッフ確保、補助金手配などお祭りのお助けマン、地方創生の火付け役として全国の自治体から注目を集めています。加藤さんに起業に至った経緯や今後の目標を聞きました。

この記事のキーワード

この記事のキュレーター

STAGE編集部 STAGE編集部
お金の教養講座