ビジネスのここ1番で勝つ!坂本龍馬に学ぶ交渉術

天下の徳川御三家から多額の賠償金を勝ち取った坂本龍馬。権威を武器に理不尽に振るまう相手に龍馬はどのように行動し、何を考えて相手に罪を認めさせたのか。 常識はずれな交渉力からいろは丸事件から龍馬の持つ交渉術を解析します。

2018.10.5

類まれなる行動力と交渉術で御三家から勝訴した「いろは丸事件」

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幕末風雲児のひとり坂本龍馬。類まれなる行動力と交渉術を用いて、幕末の混乱の時代に、数多くの功績を残しました。大きな功績の1つに、御三家から勝訴した「いろは丸事件」があります。
いろは丸とは、龍馬が率いる海援隊が伊予国大洲藩から借り受けていた西洋式の蒸気船のことです。海援隊が大須藩からいろは丸で瀬戸内海を航海中に、紀州藩の所有する大型の蒸気機関船とぶつかってしまい、いろは丸は沈没してしまいます。
いろは丸は大洲藩からレンタルしているものですから、沈没した船の弁償をしなければなりません。しかし、紀州藩は当時徳川将軍の次ぐ権力を持っており、船長と賠償の問題を話しようにも、浪人の集まりの代表である坂本龍馬の話を聞こうともしません。
それどころかわずかな金銭のみで話を解決しようとして、そのまま長崎へと出発してしまうのでした。
浪人集団だと相手を見下し対等な話し合いに応じない紀州藩相手になぜ坂本龍馬は賠償金を勝ち取る事が出来たのか?
ここに坂本龍馬の類まれなる交渉術が隠されています。

いろは丸事件から学ぶ理不尽な相手との交渉術

① 相手に有利な条件はきっぱりと断れ!

紀州藩の船長は話し合いを終える前に長崎へ逃げてしまうのですが、長崎出立前に激昂する坂本龍馬に賠償金として千両程度の示談金を渡そうとしてきました。
この時、坂本龍馬は賠償金の受け取りをあえて拒否しています。
沈没したいろは丸の損害金は少なくとも4万両はかかるものであったため、千両程度では当然納得できるものではありません。
それどころか坂本龍馬は、逆に当座の資金として1万両だけを置いていくように紀州藩の船長に要求したといいます。
相手の条件に納得がいかない場合は、きっぱりと断る態度が必要です。

② 自分に有利な状況に相手を引き込め!

当たり前のように長崎へ逃げた紀州藩の船長を相手に、龍馬は再度長崎にて賠償問題について話をしています。
その時に、交渉材料に使ったのが当時の海運業の世界ルールであった「万国公法」です。
国内のルールであれば天下の徳川家を相手に勝利する目は少なかったでしょう。
「今回の賠償問題は国内はじめての西洋式蒸気船同士での衝突である。国内のルールではなく海外のルールに則って話合いをしよう」と、長崎での話し合いの前に龍馬が事前に準備していたのでした。
紀州藩からすると見た事さえない共通のルールを突然突きつけられてさぞ驚いた事でしょう。

③ 相手の落ち度を広めろ!

「万国公法」に則り航海日誌の交換や衝突する前のお互いの回避方法など、相手の落ち度を紀州藩に突きつけた龍馬でしたが、たかが浪人集団である龍馬たちに負けたとあっては紀州藩の武士の面目がたちません。
御三家を相手取り対等な立場で話し合いを試みた坂本龍馬でしたが、紀州藩側ははぐらかすばかりで話し合いは一向に進みません。
その時、坂本龍馬は民衆の力を借りるためにある歌を花街で流行らせたといいます。
「船を沈めたその償いに、金を取らずに国を取る」といった内容の歌で紀州藩のネガティブキャンペーンを開始します。
今でいうところのツイッターでの拡散をその当時から行っていたのです。

④ 立場のある人間を頼れ!

いかに理屈立てて正しさを主張したとしても武士である紀州藩は認めようとはしません。
最終的に龍馬は海援隊のスポンサーの一人である土佐藩家老「後藤象二郎」の力を借りることで、紀州藩との話し合いを対等な立場に持っていくことに成功します。
話し合いの中では「一戦交えようか」といった話も出るほどで、ひとつの船の沈没事件が藩同士の衝突に繋がる危険性さえあったのです。
紀州藩側も戦争を始めてしまうと軍事費用もかかってしまいます。
結局は、後藤象二郎の登場により紀州藩は自分の落ち度を認めて7万両もの損害賠償を支払うことでいろは丸事件は解決したのです。

⑤ バレないウソも時には必要!

実は、この事件には現代になって明かされることとなった後日談があります。
いろは丸は海上運搬を目的とした積荷船であるため、賠償額の中には積荷の代金も含まれているのです。
積荷の中で最も高額であったのが最新式のミニエー銃や金塊の損害だったのですが、近年のいろは丸の沈没船調査によって物資の中にミニエー銃の部品や金塊の類は一切見つかっていない事が明らかになっています。
当時の技術では急流流れる笠岡諸島の海底調査は到底出来ないことから、坂本龍馬は権力者を相手に堂々と大ボラを吹いていたのです。
示談交渉の最中には8万両の損害賠償を要求していた龍馬が、最終的に7万両に減額することで納得したことも、紀州藩側に小さな勝ちを与える交渉術のひとつだったのかもしれません。

まとめ

天下の御三家を相手にこびへつらうことなく堂々と交渉し、勝ちをもたらした龍馬の交渉術は現代にも生かせるシーンが多くあるのではないでしょうか。
立場を利用するような理不尽な相手だからと我慢する必要はなく、解決するためのひとつの手段として、龍馬の交渉術は役立てる事が出来るでしょう。
ありが父

ありが父

元金融系ITマンの歴史好きパパ。
離婚を機に子育てと仕事の両立を目指してライターに転職。
城跡めぐりや写真、音楽が趣味。
好きな番組「歴史秘話ヒストリア」「英雄たちの選択」。
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