本当は聡明な楊貴妃
楊貴妃はマリリン・モンローのように表情に乏しく、知性の感じられない美貌だったという説がありますが、頭の悪い女性ではなく才智にとんでいる利口な人だといわれています。
玄宗と何回か喧嘩をして、楊貴妃は楊家に返されてしまった時に、楊貴妃は手紙を書きます。
「私がしたことは死に値します。皇帝陛下からいただいたものは、すべて皇帝陛下のものです。私が持っているものは親から産んでもらった髪の毛だけです。その髪の毛を手紙に同封します」
これの機転が利いた手紙を読んだ玄宗は驚いて、すぐに楊家から楊貴妃を呼び戻し、それ以降はむしろ愛情が深まったそうです。
これの機転が利いた手紙を読んだ玄宗は驚いて、すぐに楊家から楊貴妃を呼び戻し、それ以降はむしろ愛情が深まったそうです。
また、玄宗の道教好きは有名で、道教の書物に自ら注釈を加えるほどでした。
道教には神仙思想(不老長寿の人間である仙人の実在を信じて、みずからも仙人になることを目指す思想)が含まれています。
神仙になるために生薬を必要としますが、楊貴妃は生薬の知識を持っていたといいます。
楊貴妃と玄宗は神仙思想について語り合ったことがあるほか、美容と健康に良いとされている「はと麦」「燕の巣」「冬虫夏草」などを摂っていたとも伝えられています。
道教には神仙思想(不老長寿の人間である仙人の実在を信じて、みずからも仙人になることを目指す思想)が含まれています。
神仙になるために生薬を必要としますが、楊貴妃は生薬の知識を持っていたといいます。
楊貴妃と玄宗は神仙思想について語り合ったことがあるほか、美容と健康に良いとされている「はと麦」「燕の巣」「冬虫夏草」などを摂っていたとも伝えられています。
道教の尼としての経験から、話が合うというのも、楊貴妃が愛された理由と思われます。
後宮には、おそらく玄宗から見て綺麗な女性は多くいたかもしれませんが、話し相手になる女性は楊貴妃ぐらいのものだったのではないでしょうか。
後宮には、おそらく玄宗から見て綺麗な女性は多くいたかもしれませんが、話し相手になる女性は楊貴妃ぐらいのものだったのではないでしょうか。
また、音楽や踊りの能力も優れており、玄宗が「霓裳羽衣曲(げいしょうういのきょく)」という曲を作ったところ、楊貴妃が直ちに踊ったというエピソードがあります。
楊貴妃は38歳という若さで亡くなるまで、時の最高権力者から16年間寵愛され、さらに、死後は世界的な有名人になりました。
もしも楊貴妃の最初の夫である寿王が皇太子になっていれば、貴妃という皇后の次に高い2番目の地位ではなく、皇后の位が与えられて天寿を全うしていたかもしれません。
玄宗から愛される聡明さや能力があったからこそ、世界の三代美女として歴史に名を残したのです。
もしも楊貴妃の最初の夫である寿王が皇太子になっていれば、貴妃という皇后の次に高い2番目の地位ではなく、皇后の位が与えられて天寿を全うしていたかもしれません。
玄宗から愛される聡明さや能力があったからこそ、世界の三代美女として歴史に名を残したのです。