〈新川 義弘〉どんな世代とも共存共栄 ~新川義弘が語る、“競争原理は不要。長期目線で人的資産を育てていく”

キャリア
一軒のレストランが街の価値を向上させ“街の資産”となっているという姿を目指し、お客様、街、レストランが一緒になって、長期の目線で店作りをしていく。起業人の新川さんに、大切な人的資産の育て方などについて聞きました。
2015.3.28

「常連を増やすのは自分ではなく店」視点の変化で現場目線 から経営者目線へ

神原
新川さんは、現場のスペシャリストであるとともに経営者ですね。
現場の視点と経営者の視点、何か変わるところはあるのでしょうか?

新川
僕の両親は食堂を経営していて商売人の環境で育ったのですが、子供心に「大きな組織の中で、大きなものを動かしたい。」という想いがありました。そして(株)グローバルダイニングに勤務していた26歳のときに、世田谷の池尻にゼストというテキサスメキシコ料理のレストラン出店計画があり、僕はその店の店長を任されました。

新川
当時はネットも携帯もない。そういった中でトレンディな店を運営していくためには、常連を作って、そのパイを増やしていかなければならない。そしてそれは、「自分が」ではなく「店が」そのように動いていかないといけないと思うようになり、その結果、目線がどんどん経営者の視点になっていきました。以前であれば、例えば常連さんから「この間、来たときに、あなたがいなかったから面白くなかった」などと言われると、「やっぱり、俺がいないとだめなんだ。」と、とても嬉しかった(笑)。でも2年、3年経って「これじゃだめだ、自分がいなくなったときに、この店がだめになる。」と思うようになってきたのです。それを感じ始めたのが、30歳前後のときでした。そこで自分の経営的なマインドが出来てきたような気がします。

自分のやり方を実行して結果が出始める

新川
この店に僕は1992年の夏まで、3年間勤めました。それから、タブローズという、フレンチをベースにしてアジアのエッセンスを加えた店の立ち上げに参加しました。「これをやるとお客様が来なくなる」という基本的なことがありますよね。例えば、「目を合わせないで話す」とか、「言っていることとやっていることが違う」とか、「時間帯や曜日で機嫌が違う」とか。
それで僕は、採用のときに、自分が嫌だと思っていることをやっている人、例えば目を合わせないで話をする人とは一緒に仕事をしないという、自分のやり方を決めて実行したんです。そうすると、結果が出始めました。

神原
ご自身の経験や仮説があって実行してみたらいいチームが出来て、それがきちんと店舗の数字にも反映されたということですね。

新川
「選り好みして採用している場合じゃない」と周囲から言われましたが、「俺は違う、何回面接して、何回募集をかけても、納得できない人とは一緒にやらない。」と言って実行していきました。そんな事をしているのは僕だけでした。今から考えると、かなりガンコだったかもしれません。でも僕は、それが功を奏したと、今でも思っています。それをやり通したということが、僕のチームの勝因だったと思っています。

「ぶれることのないお客様目線」と「オリジナルの強さ」 この2つで店を軌道に乗せる

神原
タブローズの立ち上げのときは、新業態の開発を企画の段階から関与されていらっしゃいますが、そのときのご経験についてお聞かせください。

新川
1992年に店の立ち上げに携わったとき、社長から単価13,000円の店をやるから、と言われました。ゼストの単価は3,500円でしたから、3倍強ですよね。結果として軌道に乗せることが出来たのですが、これは「お客様目線」からぶれることがなかったということと、「オリジナルの強さ」の二つの結果だったのだろうと思っています。これは今でも経営的観点から大事にしています。例えば、本や映画、旅などで得た情報、一瞬のフラッシュバックでも良いのですが、それを組み立てていって、「俺はこういう店をやりたい」「これを売りにしたい」を、自分の言葉で言えたとき、これは強くないですか?
飲食店経営に限らないことだと思いますが、自分の頭の中でぱっと思いついてこれだ!と進めていって得られた実績は不動です。

「エンターテインも楽しめる店に」人生のターニングポイント となった2ヶ月の研修で見つけた自分の型

新川
若い頃、自分の少ない給料から「いい店とは、どういうところだろう」と思って、色々食べ歩きをしました。手取り15万円のころに1人3万円の料理を食べに行ったり(笑)。そのとき受けた自分の感覚、不満も興奮も自分の中にストックしておきました。またタブローズの立ち上げの前に、西海岸に2ヶ月間の研修に行ったことも大きかったですね。向こうでは欧風の料理屋をやっていてもハリウッドですから、常連が行くと「Hi, George, how are you?」とか言って、いきなり肩を揉み出すし(笑)。そこで感じたのは、「高級でも、もっとフレンドリーな店にしてよいのではないか」ということです。

神原
店員とお客様のコミュニケーションの仕方が、日本とは大きく違ったんですね。

新川
白髪のおじさんが、25歳くらいのウエイターにハイ・タッチしたり・・・。ほんとうにカルチャーショックでした。純粋に「いいな、これ!」と感じて、ストンと胸に落ちました。この2ヶ月間が、僕の人生のターニングポイントでした。それで僕の店でも、「構えずにやろう」「知っているお客様がいたら挨拶しよう」「この間召し上がっていただいたものの感想を聞こう。」「エンターテインしよう」というやり方に舵を取りました。

神原
エンターテインメント・レストランにしようと。

新川
そのとおりです。食事に来るけれども、エンターテインも楽しむ。ショーを観に来るというのと同じ感覚です。

神原
お店のスタッフが自分を知っていてくれて、コミュニケーションが楽しいと、またそこに行ってみたいという気持ちにもなりますね。

どんな世代の人もやってくる「共存共栄」の経営手法

神原
先日、HUGEの運営する代官山の「Hacienda del cielo」に行ったときに客層の広さに驚きました。デートの人もいる、家族連れの人もいるし、私たちのようなアラフォーの女子会といった人もいたんです。ターゲットやニーズを絞り込んでいるお店も多いですが、新川さんのところは、今流行りの言葉で言うとダイバーシティを実現したようなお店の雰囲気でした。

新川
特定の世代にアタッチメント(傾斜)しないというのが、今の僕の経営手法です。本当は、そもそもアタッチメントをするもしないもないというようにしたいのです。時代や世代によって価値感やプライオリティが変わってきていて、それをこちらがどう対応していくかという問題ではないかと思うからです。同じ場所でも、例えば1989年のバブルの頃ならシャンパンラウンジにして、表に出られるのは格好良い男女だけでシャンパンを開けてくれないとソファに座らせないような店も通用したと思うんです。でも今なら、そこで500円のコロナビール、そして誰もが来られる。でも若い人が「え、ちょっと。こんな格好良いところに入っていいの?」と少し怯む感じのスタイルにする、という感じですね。

神原
そのスタイルは、年齢ではなく、それが気持ち良いかどうかということがポイントになるということでしょうか。

新川
そうです。49歳の僕が家族で行っても、20歳台の人たちが少し背伸びして来ても、同じ空気を吸っているという状態もあり、という店です。
全体の雰囲気、ある程度の節度、客層への考え方といった点さえ守っていけば、共存共栄できるのではないか、というのが今のお店作りのポイントですね。
この考え方は昔と変わっていません。

運とは実力。普段のルーティンワークから手繰り寄せるもの

神原
経営者になると、数字を見ながら絵を描くようになりますね。その絵の細部が見られないと、数字を立てられない。新川さんはコンサルティングの経験もおありですが、そこでの経験も今の資産になっていらっしゃるのでしょうね。

新川
僕は以前、リンク・ワンという会社でコンサルティングをやっていて、北海道の鉄道買収案件で半年間、優秀な人と一緒に土地開発案件に携わり、物凄く濃く楽しい経験をしました。

神原
コンサルタントという仕事について、実際に経験したことが、現在の新川さんの大きな財産になっているんですね。

新川
はい、感謝ばかりです。どういうところに優秀な人が集まるのか?それは、光っていて、何かを起こしそうな人、「あの人、何だかいつも運が良い」というところにしか、人は集まってこないのだということを学びました。

神原
運は、それを引き寄せる力も必要ですね。

新川
運とは実力ですね。間違いないと思います。運は10年に1回、あるいは一生に1回の場合もあります。普段のルーティンワーク、経験の積み重ねから手繰り寄せてくるものだと思います。

資金面の苦境で培われた責任感

神原
新川さんは現在の会社は、立ち上げのときはリンク・ワンの子会社でしたが、その後MBO(マネジメント・バイアウト、経営者等による株式買戻し)を行っています。資本戦略上で考えると、一旦他人資本で作ったものを後でMBOするのは大変だったのではないですか?

新川
そうですね。コミュニケーションの問題もあったと思います。とにかく自分がやりたいお店を作るために僕は自分でお金を集めることになりました。もちろん、店もないのに銀行からお金を調達できませんから、貯めてきたお金を入れたり、自宅を売却したり、VC(ベンチャーキャピタル)にもお金を出してもらって資金の手当てをしました。

神原
当時の資金面での苦労は、今の会社の経営に影響を与えていますか?

新川
そうですね。圧倒的な違いは、責任ですね。大金を借りて、そこに連帯保証で代表者名を入れてくださいと言われてサインをしたときのことを思い出すと、今でも指先が震えます。でもその怖さが、今度は責任とやる気に変わっていきました。お陰様で当社もいまや700人の大所帯になります。すると700人の家族があるわけで、700人を道連れにしてしまったようなもの。僕がしっかりやらなければという気持ちになります。会社の資金はMBOで途中から自己資金に変わりましたが、他人資金によって責任感が育まれるという勉強をしました。

人的資産の育て方は、時間をかけ、目線を合わせてコミュニケーション

神原
グローバルダイニングでナンバー2として仕事をしている状態と、ご自身が経営者としてやっている現在との違いは何でしょうか?

新川
経営リスクがリアルにのしかかってくる点です。「当たらなかったらどうしよう」というプレッシャーが常にあります。スタンスとしては慎重にならざるを得ないのですが、一方で作品としてのお店に対しては、以前よりも細かくなったような気がします。

神原
お店づくりからサービスまで、すべて細かく見るようになったということですか。

新川
はい。そして「細かい」という意味も目線が違って来て、以前の自分は現場の長としての細かさでした。今も自分は現場の人間という気持ちは一緒ですが、一番大きな変化は、僕の与えられている最大の権限が、店長とチーフを決めることだと言う点です。この点に、ものすごく細かさを持つようになりました。以前は挙手制で、やりたい人にやらせていたことがありましたが、今は自分の納得のいく人に任せるために、目線を合わせるところまで、かなり時間をかけて細かくやるようになりました。

神原
まだ手を挙げていない人にも任せたいということを、コミュニケーションを通じて、同じ目線になるまで時間をかけて、適任者に任せるやり方になったということですね。

新川
16店舗の店長とチーフ、その30数名のマネジメントリーダーと本部のリーダーは、全員僕の目で選んでいます。多数決で決めるというのは、経営の論点から言うとあり得ないと思っています。究極の自己中心的な部分は必要です。それは勇気かもしれないし、決断力かもしれない。それを持ち合わせながら、このような形で決めていくということが、ポイントとしてあると思います。最近、僕の肩書CEOの「E」は、「チーフ・宴会・オフィサー」の「E」かな、という感じで、秘書や広報が心配になるくらい、最近宴会が多いです(笑)。必ずしも「ノミュニケーション」が良いということではありませんが、私はそういった場を通じて、新たなリーダーを発見しているのです。

神原
自分がこの人、と決めたメンバーで仕事ができるというのは、ある意味、経営者だけが実現できる最高の贅沢かもしれませんね。

サービス業というのは、人の心を読む仕事。競争原理は不要。 ここにいる人たち、1人も辞めないで、ずっと働いて欲しい

新川
サービス業というのは、人の心を読む仕事といえます。人が今、やって欲しいと思うことを察知することが必要です。場を大事にするし、空気を大事にする。こういうことができる人は、実は打たれ弱いんです。そういう人を育もうと思ったら、競争原理は入れない方が良いと思っています。
2006年、レストラン「ダズル」を立ち上げ、スパニッシュイタリアンの「リゴレット」2号店を新丸ビルに出店したときに考えたのは、「人が辞めない会社にしよう」ということでした。そのとき、私は社員に言いました。「ここにいる人たち、1人も辞めないで、ずっと働いて欲しい。皆さんに長く働いてもらって、その実績や経験が生かせる会社にしましょう。」と。そのために給料を下げない会社にしていきたい。それで飲食業にはあまりない事例だと思いますが、年間賞与を給与の2ヶ月が最低ラインという基準を定めました。年収は14ヶ月。そうすると、皆年間の収入額をイメージできますから、そこから下がらないという安心感ができて、これは大きかったかなと思います。

神原
安心して働けるという約束をしてもらっている安心感があるというのは凄く大きいことですね。HUGEは長期的視野に立って考える人材を育てている。このような考え方が、会社内に行き渡っているという実感はありますか?

新川
一つの例として、従業員持株会の話をしたいと思います。当社は従業員持株会制度を、会社設立2年目に立ち上げました。一口5千円でその拠出額に5%の奨励金をつけ、辞めるときにその金利を付けてお返しする。但し、万が一当社が倒産したときは100%お返しできるかどうかは約束できない。そのリスクも承知の上で入会してくださいと説明しました。そして現在ですが、170人弱の社員の会社で、130人が入会しています。アルバイトの人もいます。月手取り20万円くらいの人で7万円入れている人もいます。積立累計額が800万円くらいになっている人もいます。それが何を表しているかということですが、会社へのロイヤリティ、信頼があるのではないかと思います。そのような人達の仕事に対する意欲は、ちょっと違いますね。

神原
これは会社が好きでないと、そして長期で働くつもりでないと出来ないですね。

新川
そのとおりだと思います。自分の店ではなく会社で働いている、というイメージも大分浸透してきたように思います。例えばリゴレット新店舗を東京スカイツリーに出したときに、全店メールで「今、早番メンバーが足りない!」と発信すると、自発的にアルバイトの子たちが「1日なら入れます」「この日は大丈夫です」と返してきます。受け入れる側も行く側も、それを応援する雰囲気になっていて、会社全体を良くしようというカルチャーが出来ているということを感じます。

“100年品質レストラン”に向けて、店長・チーフもロングタームの お客様目線

神原
新川さんは「100年品質レストラン」を経営理念に掲げ、「一軒のレストランが街の価値を向上させる“街の資産”となっている店作り」というメッセージを発信されています。このような長期目線で、街を代表する場所になっていくという考え方は、ブランド、信用、信頼関係など全て、時間をかけないと出来ないことですよね。

新川
例えば、人が頻繁に辞めて、店長の首が年2~3回すげ替えられるという店は、見事に売り上げが落ちていきます。それを「成長に必要な出血」と考える経営者もいます。僕はそれを「許せない」と考える経営者です。ですから、そういうスピードで店舗は増やせない。直営で、僕が考えるオリジナルが守れるスピードを維持しています。その限度は1年3店です。それで店長やチーフと最初に約束するのは最低3年、通常5年は変わらずにここでやって欲しいということです。そうするとその人は3年のグランドデザインを描くようになります。
ロングタームで、お客様に来てもらうことを考えるようになる。考え方もどんどん経営的立場に変わっていきます。逆に「1年で仕上げて次に行こう」という、短期間で上がって行きたい上昇志向の強い人は入らなくなります。それはうちには向かない。今も昔も自分自身の精神的な部分は変わっておらず、お客様に喜んでいただいて、ロングタームでどうやってお客様に来ていただくか、ということだけを考えています。

神原
女性のスタッフも多いと思います。結婚、出産、育児といったライフステージ別に課題もさまざまですが、どのように対応されているのでしょうか?

新川
子供を持つ女性の仕事をどう支えていくかというのは、自分だけでなく、日本の産業全ての課題かもしれません。吉祥寺店長は女性なのですが、先日産休に入るということで、僕が「どうしたい?」と聞いたところ、「辞めたくない」と言うので、「わかった。店長のままにしよう」と言いました。「その間にどんな仕事が出来る?」と聞いたら、「メール・電話は出来ますから、毎日日報見て、自分が組織をきちんと応援出来るようにやってみたい」ということなので、「では、やろう」とそのやり方を始めました。飲食店業界はある意味非常に簡単で、「これ、どっちが美味しい?」と聞いたら、「う~ん・・・」と引っぱる人の意見は聞かない。「こっち!」ときちんと言える人でないと信頼出来ない。僕はそういうところで人を選んで大事にしています。そしてこのようなときに選ばれるのは、圧倒的に女性です。

神原
女性の仕事に関する問題については、私も同じ女性として、是非新川さんのクリエイティビティで皆が真似できるルールを作ってもらって、安心して出産でき、安心して育児でき、安心して休める組織作りを提案して日本を変えて欲しいです。

新川
頑張りたいですね。共感してくれる人たちを作って、仕組みや法といった大きいものも動かせるようになれれば。今の時代「女性力」ですから、この問題は、前向きに考えたいですね。

家族あっての自分の仕事。社員も見習う「家庭人」

神原
毎日社長業で超多忙だと思いますが、ご家族からは仕事のし過ぎと言われることはありませんか?

新川
嫁にとっていい夫かどうか、娘にとっていい父親かどうかはわかりませんが、家族あっての自分の仕事だと思っていますので、家族は大事にしています。平日は毎日夜中帰宅という状況ですが、僕はどんなときでも日曜日は必ず休みます。休まないとリセット出来ないので。オフのときは、娘と一緒に映画観たり、家族みんなで温泉旅行に行ったり、色々家庭サービスもしています。手前味噌になるかもしれませんが、僕は家庭人なので、行動ユニットが家族・夫婦なんですね。オープニングパーティに行くときは嫁と娘が横にいますし、節目節目には家族が出てくるんです。それを見て、当社の店長たちもHUGE社に来てから結婚する人や子供がいる人たちも多いんです。

神原
家庭が落ち着いていること、家族を大事にすることという同じ価値感の人たちが集まっているんですね。それは長期的に働いて欲しいという新川さんの考え方とつながっているような気がします。

20年後の新川さんは・・・?

神原
将来についてお聞きしたいのですが、20年後の新川さんは、どのようになっているのでしょうか?

新川
20年後は・・・69歳ですね。まず、僕が65歳でリタイアしたら綺麗に仕事を譲りますね。そういう立場で、自分が作った会社を客観視したいなというのが僕の夢です。そして世界中旅をして、「今、ギリシャではこんなことが流行っているよ」とか「このヨーグルト、面白いから使ってみようか」とか余計なことを言っている気がします。要するに今と何も変わっていない(笑)。実は、僕は趣味がないのが悩みなんです。僕は凝り性で、一つのことをやり始めるととことんいってしまうので、今はあえてその時間を作らないようにしています。ですからリタイアメントに向けて、会社を客観視しながら、何かに打ち込めるものを作っていきたいなと思います。

神原
自分の会社を外から客観視できたら良いですね。今日は多くの若い人たちが働いている中でのコミュニケーションの取り方やスタッフ・マネジメント、そして長期視点でのお店作りの考え方など、大変面白い話を聞くことが出来ました。ありがとうございました。

(本記事は、2012年07月10日にファイナンシャルマガジンに掲載されたものを再掲載しています)

新川 義弘さん

株式会社HUGE 代表取締役社長

1963年生まれ。1982年、福島商業高校卒業後、新宿東京会館(現・ダイナック)、長谷川実業(現・グローバルダイニング)、リンク・ワンを経て2005年に株式会社HUGE(ヒュージ)を立ち上げる。

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