「寂しい」と「孤独」は違う
「寂しい」と「孤独」は違う、話し相手がいないから寂しくて、孤独。そんな安直なものではないはずである。寂しいとは一時の感情であり、孤独とはそれを突き抜けた、一人で生きていく覚悟である。
<19ページより引用>
著者の下重暁子は、元・NHKアナウンサーであり、フリーに転身後は、民法キャスターとして活躍した経歴を持っています。
文筆活動に入った現在では、エッセイからノンフィクションまで幅広く執筆。現在、八十一歳の著者は、働く女性のトップランナーとして、今も走り続けています。
そんな著者は、寂しいと言える段階は、まだまだ甘いといいます。
それは、寂しさを自分で解決するのではなく、誰かが何とかしてくれないかと他人を頼っているから。
本来、孤独とは、思いきり自由であり、その時間に関する全責任は自分にあるものです。
著者は、その身震いするような厳しさに満ちた瞬間が好きなのだと語ります。
日本人は孤独嫌いが多く、孤独に対するイメージは決して良くはない傾向があります。孤立、孤食、孤独死と、一人で行動する人をあまり良く言わないもの。
しかし、他人には分からずとも、孤独でいることに誇りを感じている人は、人として成熟しているのではないかと著者は教えています。
孤独と品性は切り離せない
年をとるにつれて、だんだんいい顔になる人といやな顔になる人がいるが、その差は品性にあると思う。歳と共にその人の持っている内面が見事に表情にあらわれてくるからだ。中略
<110・111ページより引用>
品とは恥と裏腹にある。恥とは自分を見つめ、自分に問うてみて恥ずかしいかどうかである。
顔に責任を持ちなさいとは、ある程度の立場や年齢になると、よく言われる話です。
著者曰く、若さの持つ輝かしさや元気さが、多少の嫌味を消してくれているけれど、肉体的衰えがだんだん外に出て隠しきれなくなってくると、中身があらわれてしまうのだとか。
その時までに、自分の内側の声に耳をすましておかないと、惨めなことになるというのです。
それにしても、品というものは、お金があっても買えないし、体力があっても作ることができない。
精神的に鍛え上げたその人にしかないもので、静かに感じられる落ち着きであると著者はいいます。
自分を省み、恥を知る。そして、自分に恥じない生き方をする中から、誇りは生まれます。
一見、孤独と品は、関係なさそうに見えますが、品とは内から光り輝くもので、輝く自分の存在がなければ、成り立たないものです。
自分を作るために、孤独の時間を持ち、他人に煩わされない価値観を少しずつ積み上げていくことによって、品性ある顔を作っていくことができるようです。
孤独を刺激する若い友人を作る
年齢を重ねて孤独を感じることが多くなったら、その孤独を一人でじっと味わうのもいいけれど、時には刺激も必要であると著者はいいます。
年をとった者同士では、刺激にならない。自分より若い人……十歳、または三十~四十くらい、年齢のギャップがあると刺激は大きくなるのだとか。
歳が違うと話が通じないこともあるけれど、だからこそ新鮮な驚きがあるというのです。
つくづく、孤独というものは、ただ寂しいという感情とイコールな悪ではないということが、少しわかってきた気がします。
タイトル:極上の孤独
著者:下重暁子
発行:幻冬舎新書
定価:780円(税別)