「物事は両面から見ることが大切だ」第8章[第15話]

小説『富者の遺言』
元銀行員の男が起業をして、一時は成功の夢をつかみかけたが失敗する。男はなぜ自分が失敗したのか、その理由を、ジョーカーと名乗る怪しげな老人から教わっていく。"ファイナンシャルアカデミー代表"泉正人が贈る、お金と人間の再生の物語。
2017.10.6
 近くにある大きな会社が終業したのだろうか。一斉に僕らの前を通り過ぎて、駅に向かう一団があった。もう街は暗かったので、どんな人間も黒く見えるが、彼らは全員が地味な色合いのスーツを着ていたので、さしずめ黒スーツ軍団という印象だった。だけど、それぞれに帰る家があり、家族があるということを想像したら、また印象も変わる。
 小学生くらいの女の子が母親に連れられて、デパートから出てくると、新しく買ってもらったスカートがよほど嬉しいのか、広場の近くで、何回も身体を回転させて、スカートがひらひらと風に遊ぶ様子を楽しんでいる。母親もその姿を見て満足気だが、先を急ぐのか、彼女の手を引いてさっさと行ってしまった。
 僕は、視界から彼女がいなくなると、すこし寂しく感じた。彼女が近くにいる間、つい話を中断していたが、何も言わずに黙っているところをみると、老人も同じ気持ちだったようだ。僕らは彼女がいた余韻を感じたまま、話を再開した。
「僕の心は半分決まったと言いましたが、やはり心配は家族のことでした。 
 すでに七年前に結婚をしていて、ひとり娘もいました」
「家族を支えていたのは君の稼ぎだったんだろう」
「はい、妻は出産と同時に仕事もやめて、専業主婦をしていました。子どもが成長したら、仕事に復帰してもよかったんですが、娘の身体が弱くて……娘の面倒を見るために家にいました。万が一でも失敗をして、彼女たちを路頭に迷わせるわけにはいきません。だから、銀行を退行することに躊躇したのです」
「まあ、それは考え方ひとつだろう。銀行そのものは安定しているかもしれないが、 銀行員が安定した職業ではないことは、知っているよ。
 男の場合は、家族がいるから頑張れる。銀行員じゃなくなったとしても、君の頑張りひとつで何とかなるもんだ」
「でも、家族の負担が増えるのはやはり心配だったので、僕は大谷に条件を出したのです」
「どんな、条件を出したんだい?」
「無借金で始めること、です」
「無借金で始めるには、自己資金を相当額出し合ったということだね」
「はい、五〇〇万円ずつ、出し合いました」
 老人は、こめかみのあたりを掻きながら、すこし時間を置いた後、言葉を選んで僕にこう言った。
「では、君は無借金で始めれば、安心だと思ってたんだね。そうはうまくいかなかったようだが」
「………」
「借金というのは、ほんとうに不思議なものでね。人によっては、どんどんした方がいいと言う人もいるし、借金そのものを毛嫌いする人もいる。でも、

会社がつぶれたり、個人が自己破産する原因は借金だと思われているが、
実際は手元にお金がなくなることが原因だ

 これは経営をしている人間にとっては当たり前のことなんだが、一般の人間は、借金のせいにして思考停止してしまう。借金をしたのがそもそも悪いんだ、と考えてしまう。だが、借金のおかげで倒産することを免れてる会社も山のようにある。
日本人は借金を嫌うあまり、お金の性質について学ぶ機会を失っている。借金ほどいい教材はないのにな」
「うまく借金ができれば、いい経営者だといいますね。僕には無理でしたが……」
「そう、悲観してはいけない 。さっきも言ったじゃないか。バッドを振る経験が大事なんだ、と 。
(毎週金曜、14時更新)

泉 正人

ファイナンシャルアカデミーグループ代表・一般社団法人金融学習協会理事長

日本初の商標登録サイトを立ち上げた後、自らの経験から金融経済教育の必要性を感じ、2002年にファイナンシャルアカデミーを創立、代表に就任。身近な生活のお金から、会計、経済、資産運用に至るまで、独自の体系的なカリキュラムを構築。東京・大阪・ニューヨークの3つの学校運営を行い、「お金の教養」を伝えることを通じ、より多くの人に真に豊かでゆとりのある人生を送ってもらうための金融経
済教育の定着をめざしている。『お金の教養』(大和書房)、『仕組み仕事術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など、著書は30冊累計130万部を超え、韓国、台湾、中国で翻訳版も発売されている。一般社団法人金融学習協会理事長。

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