老子について
老子は、中国・春秋時代の思想家として知られ、孔子と並び注目を集めています。諸子百家のうち「道家」は老子の考えをもとに生まれた思想であり、道教では老子を始祖としています。
老子道徳経はおよそ5,000文字、全81章から成り立ちます。それぞれは短い文章であるものの、その内容は深く、多くの人に多大な影響を与えるものばかりです。
最も理想的な指導者は「誰にもしられない存在」?
太上、下不知有之。其次、親之譽之。其次、畏之、其次、侮之。故、信不足焉、有不信。猶兮其貴言。功成事遂、百姓皆謂我自然。〈太上には、下これあることを知らず。その次には、これに親しみこれを譽む。その次には、これを畏れ、その次には、これを侮る。故に、信足らざれば、信ぜざることあるなり。猶兮としてそれ言を貴びたり。功成り事遂げて、百姓皆我が自然なりと謂ふ。〉
全体を要約すると、次の通りです。
「最も理想的な指導者は誰からも意識されない存在であり、その次は親しまれほめたたえられる存在です。その次は人々から畏れられ、その下は軽蔑されるような人物です。指導者が十分に誠意を示していないと信用されません。言葉に配慮すること。行動の結果、うまく成し遂げられれば、みんな自分の力でそうなったというでしょう。」
もしもだめなら逆の方法を考えてみる
将欲歙之、必固張之。〈これを歙めんと将欲すれば、必ず固くこれを張れよ。〉
要約すると、「もしも縮めたいのであれば、分散・拡大させること」となります。つまり、押してダメなら引いてみるという考えと同様といえるでしょう。この36章は続きの文で「柔よく剛を制す」という意味を持つ言葉もあります。
柔軟な発想で、逆の方法を用いれば成功へのきっかけをつかむこともあるという意味でしょう。
はじめの1歩から最後まで慎重に進めれば成功への近道に
合抱之木、生於毫末、九層󠄃之臺、起於累土、千里之行、始於足下。〈合抱の木も、毫末より生じ、九層󠄃の臺も、累土より起り、千里の行も、足下より始まるなり。〉
64章は全体が長いのですが、上記の文は以下のような意味になります。
「大木でもはじめは小さな枝からはじまり、九重の塔も、はじめは土の塊からはじまります。千里にもわたる旅であっても、はじめは1歩からはじめるものです。」
で、完成間際で失敗してしまう」という意味を指す言葉があります。どんな大きな仕事であっても、スタートは些細な1歩から歩みはじめるもの。当時の気持ちを忘れることなく慎重さを期すことで、最後まで失敗することなく完了させることができるはずです。
知らないことを「知らない」といえれば短所もなくなる
知不知上、不知知病。夫惟病病、是以、不病。聖人不病、以其病病。是以、不病。〈知りて知らずとするは上にして、知らずして知るとするは病なり。それただ病を病とす。是を以て、病ならず。聖人の病ならざるは、その病を病とするを以てなり。是を以て、病ならず。〉
全体のおおまかな意味としては、次の通りです。
「自らが知らないことを知っていることはいいことです。しかし知らないのに知っているというのはよくありません。聖人に短所がないというのは、その短所について短所だと理解しているからです。そのため、短所がないということになります。」