気配りの人
先ほどの、馬泥棒の話もそうですが、早雲の逸話の中には人情話が数多く残されています。たとえば、伊豆へ攻め入っていたころ、仲間に病人がいれば医者を遣わせたり、部下に看病を依頼したりしました。一時逃げ散っていた領民たちは「今度の領主様は情け深いお方だ」という噂を聞きつけて帰ってきたということです。
早雲は「早雲寺殿廿一箇条」という家訓を書き残していますが、これをよむと彼が非常に気配りができた人であることが分かります。その中には現在のビジネスマンの心得としても通じるものがあります。
第九条『主人の言いつけに対し、まず素早く「はい」と返事し、近づいて謹んで聞きなさい。用事を果したなら、あったとおりのことを報告しなさい。分の才気をひけらかすような大げさな物言いをしてはならない。』これは「報・連・相」の大切さを教え諭しています。失敗を取り繕ったり、成果を大げさに報告したりすると後で面倒なことになるので、正確に報告した方が良いですね。
第六条『ことさらに服装を飾り立てることは避けなさい。』
第七条『非番でも何があるか分からないのだから髪ぐらいは結っておけ。』
これは身だしなみについて言っています。昔も今も服装や身だしなみはその人の印象を左右します。早雲も普段から身だしなみには気を付けていたのでしょう。
第七条『非番でも何があるか分からないのだから髪ぐらいは結っておけ。』
これは身だしなみについて言っています。昔も今も服装や身だしなみはその人の印象を左右します。早雲も普段から身だしなみには気を付けていたのでしょう。
早雲に始まる北条氏は、その後5代に渡って、およそ百年の間広く関東を支配しますが、その礎となったのは、早雲の繊細な「気配り」、そして領民を思いやる心にあったのではないでしょうか。