2019.7.17
結局のところ幸せとは「地位財」+「非地位財」?
結局のところ人間の幸せとは何なのか、これを理解する助けになりそうな研究があります。英国ニューカッスル大学の生物心理学部のDaniel Nettle(ダニエル・ネトル)准教授によれば、人間の幸福に関わってくる要因は、「地位財」と「非地位財」との2つに分類することが可能とのことです。「地位財」というのは、主に他者との比較によって優位性を感じ、満足感を得るものですね。例えば、年収や役職、勤務先、住まい、所有車、身に付ける服飾品などが挙げられます。
他方、「非地位財」というのは、他者との比較をすることなく満足感を得られるものとされます。健康や体力、主体性や自主性、組織やコミュニティへの帰属意識、自由や平等の感覚、他者や動物・土地への愛着などが挙げられるでしょう。人間としての、本能的・根源的欲求を満たされることにより、幸福感を覚えるのが「非地位財」の効能と言えるかも知れません。「地位財」でも「非地位財」でも、どちらにも人間に幸福感をもたらす効果があるのですね。
ただ、現代の日本社会、特に日々競争社会を生きるビジネスパーソンの感覚では、幸せとは「地位財」をより多く獲得することである、という意識の方が主流である印象を受けます。敢えて周囲に公言することはないにせよ、かつての私も間違いなくそのように思い込んでいました。「地位財」をより多く獲得しようとする欲求が、ハードな毎日をサバイバルするエネルギー源になっていた、と言っても過言ではありません。
「地位財」=「社会的成功」にのみ注目すると結局は幸せになれない?
何だかんだと言っても、幸せとは、結局のところは高年収や高い社会的地位などの環境要因(社会的成功)によりもたらされるものなのでは、と漠然と感じている方は、今の日本社会では決して少なくないでしょう。つまり、「地位財」に幸せを求めがちな訳ですが、ここには大いなるリスクが潜んでいます。なぜなら、「地位財」に幸せを求めると、その幸福感は結局長続きしないからなのですね。
これまでのあなたの人生で、何かとても辛かった出来事を思い起こしてみてください。仕事・事業での失敗、家族・親族との死別、配偶者との離別など、さまざまなキツい一時を経験していることでしょう。それでも、多くの場合で現在は克服できており、過ぎ去った人生の一コマとして客観視しているのではないでしょうか。実は、これと全く同様のことが、「地位財」を獲得したことによる幸福感でも起きることになるのです。
例えば、社費でのMBA留学が決まった、子供さんが名門大学の附属小学校に入学できたなどとなれば、暫くの間は幸せを感じることができるでしょう。ところが、ネガティブな事柄も時間経過で次々と克服してこられたのと同様、じきにその喜ばしい状況も、自身にとってはありきたりで、さも当然の環境となってしまうのですね。以前の私のように、次の幸せを求めて、上り坂を常に自転車で立ち漕ぎしているようなメンタル状態が続くことにもなりかねないのです。
幸せ/不幸せは自分でコントロールできるもの?
それでは、幸せとは結局は一過性の感覚に過ぎないのでしょうか。最近の海外の研究では、人間の幸福感に関わる要因は、結局のところ3つに大別できることが判ってきました。1つは、生まれつきの性格など「遺伝的要因」であり、これが何と50%を占めています。2つめは、年収や社会的地位、所有するモノなど「地位財」によりもたらされる「環境要因」で、僅かに10%しかないそうです。
そして、3つめが、自分の意志で新たな一歩を踏み出したり、自主的に未知のことに挑戦したりなどの「自発的・意図的な行動要因(Intentional Activities)」であり、こちらが40%とされています。「遺伝的要因」は、先天的な脳内物質の分泌傾向などを指しますので、後天的な教育や努力で変えることはほぼ不可能です。加えて、「環境要因」ですが、僅か1割ほどの影響しかない訳ですから、従来通りここにのみフォーカスしてエネルギーを注ぐことは、幸せになるためには非効率的だと分かりますね。
ここから、幸福になるために注目すべきは、結局は「自発的・意図的な行動要因」であることが導き出せます。身近な例では、意識して周囲に余裕のある態度で接したり、意図的に率先した行動をとったり、健康を意識したエクササイズを続けたりなどが考えられます。これらの自発的なキッカケ作りによって、4割の部分が幸せを感じるように、今すぐにもコントロールが可能です。とは言うものの、経済力が不十分であるが故に「自発的・意図的な行動」が制約されてしまうとすれば、言わずもがな元も子もありませんね。