2018.9.6
「物々交換が起源」説は事実が根拠ではない
お金の歴史について、お金の起源は物々交換であるというのが伝統的な見方でした。この立場を
とる人物としてアリストテレスやジョン・ロック、アダム・スミスなどを挙げることができま
す。そして現在でも、物々交換にお金の始まりを見いだそうとする研究者は多いのです。
とる人物としてアリストテレスやジョン・ロック、アダム・スミスなどを挙げることができま
す。そして現在でも、物々交換にお金の始まりを見いだそうとする研究者は多いのです。
しかし、実はお金の起源が物々交換であるという事例は見つかっていません。それどころか、単
純な物々交換に基づいた経済の事例すら、見いだすことができないと主張する研究者が複数いる
のです。
純な物々交換に基づいた経済の事例すら、見いだすことができないと主張する研究者が複数いる
のです。
アメリカの経済人類学者ジョージ・ドルトンは1982 年にこう断言しました。「貨幣を使わない
市場交換という厳密な意味での物々交換が、量的に重要な方法であったり、最も有力な方法であ
ったりしたことは一度もない」。むしろ、お金の起源を単なる物々交換とは主張できない証拠の
ほうが見つかっています。
市場交換という厳密な意味での物々交換が、量的に重要な方法であったり、最も有力な方法であ
ったりしたことは一度もない」。むしろ、お金の起源を単なる物々交換とは主張できない証拠の
ほうが見つかっています。
物々交換説は事実に基づいた説ではなく、推論だけでなされた主張だったのです。
お金の起源が物々交換だといえない証拠
物々交換がお金の起源ではない証拠の1 つめは、ミクロネシア連邦の西端、日本とオーストラリ
アの間に位置するヤップ島のマネーシステムです。ヤップ島といえば直径30cm~約4m もある
車輪状の石貨「フェイ」が有名。その大きさから、「これを運んで商品と交換するなんて大変
だ」と思いがちですが、フェイで実際に運ばれることはあまりありませんでした。さらに、フェ
イは必ずしも持ち主の土地にある必要はないし、所有権さえ認められていれば、海の底に沈んで
誰も見たことがなくても良いものでした。
アの間に位置するヤップ島のマネーシステムです。ヤップ島といえば直径30cm~約4m もある
車輪状の石貨「フェイ」が有名。その大きさから、「これを運んで商品と交換するなんて大変
だ」と思いがちですが、フェイで実際に運ばれることはあまりありませんでした。さらに、フェ
イは必ずしも持ち主の土地にある必要はないし、所有権さえ認められていれば、海の底に沈んで
誰も見たことがなくても良いものでした。
ヤップ島の取引のシステムはこうです。まず、魚やヤシの実、豚、ナマコの取引で債権と債務が
発生するので、これを帳簿に記録。決済時に債権と債務を相殺していき、もし決済後に差額が残
った場合は繰り越されます。フェイがやりとりされるのは、この差額が残った場合に、取引の相
手が差額に等しい価値のフェイを交換してほしいと望んだとき。そのため、フェイ自体は魚やナ
マコと交換されるものではありませんでした。
発生するので、これを帳簿に記録。決済時に債権と債務を相殺していき、もし決済後に差額が残
った場合は繰り越されます。フェイがやりとりされるのは、この差額が残った場合に、取引の相
手が差額に等しい価値のフェイを交換してほしいと望んだとき。そのため、フェイ自体は魚やナ
マコと交換されるものではありませんでした。
フェイは私たちの知るようなお金の役割を果たしていたのではなく、債権と債務を管理を容易に
する信用取引・精算システムだったのです。
する信用取引・精算システムだったのです。
その他、中世イングランドや1970 年のアイルランドでも、同様に理解できる事象が見られま
す。
す。
『21 世紀の貨幣論』が主張するお金の本質
フェリックス・マーティンの『21 世紀の貨幣論』は、こうした事例に基づき、「通貨そのものは
マネーではない。信用取引をして、通貨による決済をするシステムこそが、マネーなのである」
と結論づけています。
マネーではない。信用取引をして、通貨による決済をするシステムこそが、マネーなのである」
と結論づけています。
歴史上の事実から見えてくるのは、手にとって握ったり折りたたんだりできる物である通貨こそ
がお金そのものであり、お金のやりとりから債権や債務が発生したという流れではありません。
むしろその逆、債権や債務の決済をまず行っており、その際に便利な代用物として用いられたの
が通貨だったという流れです。だからこそ、お金(本書の言い方では「マネー」)とは、それを含ん
だシステム全体のことだと分析できるのです。
がお金そのものであり、お金のやりとりから債権や債務が発生したという流れではありません。
むしろその逆、債権や債務の決済をまず行っており、その際に便利な代用物として用いられたの
が通貨だったという流れです。だからこそ、お金(本書の言い方では「マネー」)とは、それを含ん
だシステム全体のことだと分析できるのです。
こうした通説と異なる貨幣論におけるお金の基本要素は次の3 つ。
(1) 抽象的な価値単位を提供すること
(2) 会計システム
(3) 譲渡性
(1) 抽象的な価値単位を提供すること
(2) 会計システム
(3) 譲渡性
この中で特に重要なのが譲渡性です。つまり、お金とは譲渡することが可能な信用なのです。わ
かりやすく言うと、通常「私はA さんを信用している」という場合であっても、A さんが私から
の信用を根拠にして食べ物を手に入れたり、家を手に入れたりできるとは言えません。しかし、
お金はそれができます。A さんの仕事に対して私の信用(マネーの代替物としての硬貨や紙幣)を与
えると、A さんはその信用を使って夕飯の買い物ができたり、家のローンを支払ったりできる、
といった具合に。これがお金のもつ信用の譲渡性です。
かりやすく言うと、通常「私はA さんを信用している」という場合であっても、A さんが私から
の信用を根拠にして食べ物を手に入れたり、家を手に入れたりできるとは言えません。しかし、
お金はそれができます。A さんの仕事に対して私の信用(マネーの代替物としての硬貨や紙幣)を与
えると、A さんはその信用を使って夕飯の買い物ができたり、家のローンを支払ったりできる、
といった具合に。これがお金のもつ信用の譲渡性です。
新しい貨幣論は、お金の雑学を増やす以上の、世界の見方を変える力を持っています。たとえば
子供たちのお手伝いに対して渡す「おこづかい」が様変わりするのです。即物的な報酬であった
おこづかいが、大人から子供への信用を与え、その信用を使って子供が自ら経済活動の一歩を踏
み出すことを認めることであると解釈できるように。信用のすべてがお金で表されるものでない
ことには注意が必要ですが、お金が特殊な形態の信用であるという点は非常に示唆に富んでいます。
子供たちのお手伝いに対して渡す「おこづかい」が様変わりするのです。即物的な報酬であった
おこづかいが、大人から子供への信用を与え、その信用を使って子供が自ら経済活動の一歩を踏
み出すことを認めることであると解釈できるように。信用のすべてがお金で表されるものでない
ことには注意が必要ですが、お金が特殊な形態の信用であるという点は非常に示唆に富んでいます。
【参考文献】
フェリックス・マーティン(遠藤真美訳)『21 世紀の貨幣論』東洋経済新報社、2014 年